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大久保利通

大久保利通はもと武士でしたが、明治維新を推し進めた重要人物です。
実質上、初代首相を務め、明治政府のリーダーとなりました。

鹿児島城下に生まれました。
幼かったころ、加治屋町に移り、そこにあった藩校造士館で西郷隆盛らと出会い、ともに学問を学びました。

武術はあまり得意ではなかったようですが、学問は人並み外れた優秀な人でした。

1846年、16歳で仕事を始めました。藩の記録所書役助となったのです。
ところがしばらくして薩摩藩のお家騒動に巻き込まれ、父と共に職を失い、貧しい生活を送ることになりました。
島津斉彬が新しい藩主となったため、謹慎を解かれ、記録所に復職しています。このとき御蔵役となっています。

1861年、抜擢されて参与となり家格も上がりました。
1862年、御小納戸頭取に昇進しました。
1865年、名前を利通に変えました。

大政奉還が実現したとき、岩倉らとともに、王政復古を計画しました。
王政復古のクーデターは成功し、参与に任命されています。

明治2年参議に就任しました。ここで廃藩置県など明治政府の確立を行いました。

明治4年、大蔵卿に就任。岩倉使節団とともに外遊しています。
外遊中に西郷隆盛らと対立。明治六年西郷らを失脚させました。

明治6年、内務省を設置しています。

大久保が目標としていたのは、この日本をドイツかイギリスのような国にしたいと言うことでした。
しかし当時、権力があまりにも大久保に集中していたことに反感を持つ人もありました。
一方で、内務省を設置した大久保の功績は大きく、現在の日本の官僚機構を築いたのです。

明治11年、大久保は紀尾井坂において暗殺されてしまいました。満42才でした。