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大蔵省

大蔵省は、明治の初めから平成13年まで続いた日本の金融面における中央官庁です。
大蔵省の後は財務省と金融庁になりました。

明治維新の時、政府の資金調達のため金穀出納所が作られ、その後何回も名前が変わっていますが、明治2年に大蔵省となりました。

この時、民部省と一緒になって今までになく大きな組織になりました。
しかし大蔵省の仕事は多義に渡りすぎ、翌年民部省は再び切り離されました。

その後、大久保利通によって内務省が作られ、地方財政などについては移されました。

明治18年、内閣制度となり、大臣が就任しました。初代大蔵大臣は松方正義です。
当時の大蔵省は国家予算始め、租税政策など大きな権力を持っていましたが、それでも、陸軍省、海軍省には及ばず、第四番の地位でした。
昭和10年頃、総理、外務、陸軍、海軍、大蔵の各大臣が集まる会議が設けられています。

太平洋戦争後、陸軍、海軍、内務省は解体されました。
大蔵省も解体される所でしたが、連合国に対する協力者としてふるまい、解体を免れています。
このため日本の大型官庁としては大蔵省だけとなり、「官庁の中の官庁」とまで言われるようになりました。

平成10年、大蔵省においては、銀行局及び証券局が廃止されました。
これにより、大蔵省は、民間金融機関に対して監督権を使うことは無くなりました。
平成12年、金融庁ができ、大蔵省の金融企画局が廃止されました。
これにより、金融制度の調査・企画・立案も行わないことになりました。

平成13年、大蔵省は名前が変わり、財務省になりました。
以前の大蔵省の業務は、大蔵省から名前の変った財務省と、新しくできた金融庁に振り分けられました。
これにより、大蔵省という名前は無くなったのです。

大蔵省という名前は、奈良時代から存続し、1300年にわたって用いられた名前となりました。