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荒城の月を思う城 延岡城

延岡市にある城跡で、ツタの生い茂る石垣が残る荒れ城です
   

荒城の月を思う歴史と真意

延岡城は延岡市にある城跡です。ツタの生い茂る石垣が残る荒れ城で、荒城の月の歌詞のようです。しかし延岡城の歴史は、荒城の月の真意「無常」をよく語ってくれます。

延岡城の歴史

1601年(から1603年にかけて、高橋元種が作った城です。

高橋元種は城下町を整備し始めました。現在の延岡の原形が作られています。

1613年、高橋元種は改易されました。
その後、有馬氏となり、さらに三浦氏、牧野氏と続きました。
幕末は内藤氏の支配でした。

1652年、城の修復に取りかかっています。 石垣普請、三階櫓、二階櫓などが修復されました。
1655年、完成しました。

1683年、天守として使われていた三階櫓が焼失しましたが、再建はされていません。

明治3年、薬園となり、廃城となりました。
明治14年、延岡市へ寄贈されて内藤記念館として利用されました。

昭和20年、太平洋戦争時の空襲によって焼失しました。

荒城の月の真意

延岡城は北大手門など復元されていますが、残っているのは大部分石垣です。
荒城の月を思う城とも言えますが、そのような情景よりも、延岡城の歴史が荒城の月の真意、「無常」を物語っています。

荒城の月の歌詞は土井晩翠の作詞によるものです。
土井晩翠は仏教を深く信仰し、仏教の根本概念である「無常」についてよく理解していました。

無常という言葉は、常が無い、と書かれますが、この「常」というのはいつまでも変わらないという意味ですので、「無常」は、いつまでも変わらないものはないという意味になります。
土井晩翠はこの無常観を人々に伝えたかったのです。
荒城の月の歌詞を通して、世の中は無常なのだと伝えたいという真意があったのです。

荒城の月の歌詞、四番をご覧ください。
「栄枯は移る」とされています。
栄も、枯も、時とともに移り変わると言っています。
これは「無常」と同じ意味をもっています。
荒城の月は、「無常」を伝えるという真意を持っていたのです。

荒城の月を思うとき、延岡城の歴史は、まさに「無常」を語ってくれるのです。

参照 延岡城(Wikipedia)

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