荒城の月を思う城 白河小峰城

総石垣造りの城で、城山公園として整備されています
   

白河小峰城

白河小峰城は、白河市にあった城。総石垣造りの城で、周辺は城山公園として整備されています。荒城の月の歌詞を思い出させる雰囲気です。

平成23年の東日本大震災で石垣等が崩壊したため、立入禁止となっていましたが、平成27年小峰城は復興し入城可能となっています。

白河小峰城は南北朝時代に、結城親朝が小峰ヶ岡に城を作り、小峰城と言ったのが始まりとされています。
1590年、城主の白河結城氏が改易されたためこの地は会津領となりました。
蒲生氏、続いて上杉氏、その後再び蒲生氏が支配したましたが、1627年に丹羽長重が10万石で棚倉城から移ってきて、大改築に着手しました。
3年の歳月を費やして1632年に完成しました。

その後何回も城主の交代がありましたが、1867年、阿部氏が入ってから後、白河藩は幕領となって、城は二本松藩の支配するところとなりました。

白河小峰城は戊辰戦争で新政府軍との激しい攻防となり、大半を焼失して落城しました。

明治6年の廃城令では存城とされました。
しかし城を壊さなくても良いと言う「存城」ではありましたが、実際の城跡には曲輪・土塁・石垣・水堀を残すのみでした。

平成3年になって、本丸跡に天守に相当する三重櫓が復元されました。
平成6年には前御門が当時の史料に基づいて復元されています。

平成23年に発生した東日本大震災により、大きな被害を被っています。
三重櫓の崩壊には至りませんでしたが、数箇所の石垣・曲輪が崩壊したり、積み重ねのゆるみが出るなどしました。
曲輪上にあった白河バラ園や石碑等も崩壊したため、本丸への立ち入りは禁止となりました。
特に三重櫓下の崩壊被害は大きく、小峰城入口からでも見えたほどです。

2011年秋から修復工事が始まりました。しかし完全な復旧には5年程かかる予定です。
復旧工事の進展により、2015年4月から入城可能となっています。

三重櫓は大変立派な作りで、しっかりした石垣の上に作られています。
この姿は以前の繁栄の様子を示しているかのようです。
しかし以前には繁栄していたのに、今はその人たちの姿は見えません。
栄枯は移ると荒城の月の歌詞では言われています。
さらに荒城の月の歌詞は、昔の光今いずことも言っています。

土井晩翠の作詞によるものですが、この城を見ていますと、この歌詞の意味が心に浸み入ってくるように思えます。
仏教にいう「無常」を目の当たりに突き付けられた感じがします。
どのように立派な城であっても、永遠に続くことは出来ないのだとしみじみ思えてきます。

参照 白河小峰城(Wikipedia)

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