荒城の月を思う城 金山城

金山城は石垣の一部が残っており、荒城の月の歌詞を思わせる城跡です
   

金山城

金山城は、太田市の金山に築かれた城です。別名「新田金山城」。現在は、本丸跡に新田神社があり、石垣の一部が残っています。荒城の月の歌詞を思わせる城跡です。

1469年 新田一族の岩松家純によって築城されました。
以降、1528年に由良成繁、国繁親子、1584年には北条氏と城主は変わりました。
しかし、上杉謙信の攻撃にも耐えるなど、関東七名城の一つとされています。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐の際に、猛攻撃を受けてついに落城し、廃城となりました。

昭和9年、「金山城跡」として国の史跡に指定されました。
現在は、いくつかの遺構と共に、公園として整備されています。
藤岡市の平井金山城と区別するため太田金山城とも言います。

平成18年、日本100名城の一つにに選定されています。

今は金山城跡は公園として公開されていますが、月ノ池があります。
この月ノ池の周りは石畳が敷き詰められ、池には水があります。
この池の上の方に、大手虎口がありますが、ここは立派な石垣になっており、往時の勇壮な構えを想像することが出来ます。
また、物見台下虎口も石垣で固められています。
中ほどを通る道は石畳になっていますが、この道はクランク状に折れ曲がっており、両側には櫓があったのではないかと思えるような高い石垣があります。

築城後100年以上も持ちこたえてきた城です。
しかし最後は攻め落とされ、廃城となっています。
世の中に、永遠に続くものは無いと仏教でも言っていますし、平家物語でも言っています。
荒城の月の歌詞は土井晩翠が作りました。
この歌詞は、荒れ果てた城と、その荒城に昇る月を歌っているわけですが、単に荒城と月を示しているわけではありません。
荒城の月の「月」は、四番の歌詞にいわれているように「天上影は変わらねど」という自然の力は変わらないことを意味しています。
また、荒城の月の「荒城」はいくら栄華や権勢を振るっていた城でも荒れ果てるように、世の中はいつまでも続くことは無いと言う意味も持ってます。
「荒城の月」と今は言われますが、土井晩翠が作った時は「荒城月」だったのです。
荒城と月だったわけです。
荒城の月は、何となく荒城を照らしている「月」を意味しているように思ってしまいがちです。
しかし土井晩翠がこの荒城の月の歌詞の中で本当に言いたかったのは、この城のように荒れ果てていく世の姿なのです。

金山城の石垣を見ていると、土井晩翠が言いたかったことが思い起こされるような気がします。

参照 新田金山城(Wikipedia)

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