荒城の月を思う城 鉢形城

鉢形城は、埼玉県大里郡にある戦国時代の城です
   

鉢形城

鉢形城は、埼玉県大里郡にあった戦国時代の城です。
長尾景春が1476年武蔵国鉢形の地に城を築城したのが鉢形城の始まりです。昭和7年「鉢形城跡」として国の史跡に指定されています。

鉢形城は、二つの自然の川を堀の役にしています。
深沢川と荒川の谷を刻む断崖の上に位置する城です。
その構成は、唯一平地部に面する南西側に三つの郭、大手、外曲輪、三の曲輪を配しています。
また、両河川の合流地点に向かっては、二ノ丸、本丸、笹曲輪と、曲輪が連なっています。

初めて築城した長尾景春は関東管領山内上杉氏の家臣でした。
1488年、上杉定正が鉢形城の上杉顕定を攻めるため兵をおこしました。
鉢形城の近くで両軍が衝突し、高見原の戦いが起こっています。このとき、定正は戦闘には勝利したものの鉢形城は落とすことができず撤退しています。

1546年、 北条氏3代北条氏康が川越城を攻略する河越夜戦が起き、北条氏が勝利して武蔵国における覇権を確立しました。

その後、北条氏邦によって更に整備拡張され、北条氏の上野国を支配するための拠点となりました。
しかし、下野国遠征の足がかりともなったのですが、滅ぼされるとともに廃城となってしまいました。

関東地方にある城の中では、戦国時代の城郭として比較的きれいに残されています。
このため、昭和7年に「鉢形城跡」として国の史跡に指定されています。

昭和59年から保存事業が開始され、現在は鉢形城公園となっています。
園内には歴史を知ってもらうため、鉢形城歴史館が設置されています。

城跡内には大きな桜の木があります。町天然記念物に指定されている「エドヒガン」です。
このエドヒガンは、一旦伐採されたのですが、株元から12本の芽が成長した珍しいものです。

この公園は城跡であり、遺構はよく残されていますが、建物や石垣はあまり目立ちません。
荒城であることに間違いはありません。
土井晩翠の荒城の月の歌詞が意味するのは、「栄枯は移る世の姿」であり、石垣の上に月が出ている美的な様子ではありません。
もちろん土井晩翠の作詞力は並外れたものであり、荒城の上に夜中に月が出ているとの表現をしています。
本当に綺麗な絵を見ているようです。

しかし荒城の月の歌詞の中に込められている思いは、その綺麗な絵姿ではなく、栄枯盛衰は世の常であることを伝えたかったのだと私は解釈しています。
荒城の月の歌詞の意味は、「無常」にあると思います。
美しい表現で歌いこんだ土井晩翠の力は誠に素晴らしいものであると感心します。

参照 鉢形城(Wikipedia)

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