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荒城の月を思う城 忍城

御三階櫓が再建されていますが、土塁が少し残る公園になっています
   

荒城の月を思う歴史と真意

忍城(おしじょう)は行田市にある城跡。御三階櫓が再建されていますが、土塁が少し残る公園になっています。しかし、この忍城の歴史は、荒城の月の真意、「無常」をよく表しています。

忍城の歴史

1478年頃、地元の豪族であった成田正等・顕泰父子が築城したのが始まりといわれています。
翌年、扇谷上杉家に攻められましたが、和解し、以降成田氏が領有しました。

1559年、上杉謙信が攻め入り、成田氏は降伏し許されました。
1561年、上杉謙信の小田原城攻めには、城主成田長泰も参加しています。

1574年、上杉謙信に忍城が包囲されました。しかし落城はしませんでした。

1590年、豊臣秀吉の関東平定には城主の成田氏長は小田原城で籠城しています。
この時、忍城は落城していませんが、小田原城が落城したため開城することになりました。
徳川家康の関東入部後は、松平忠吉が忍城に入り、忍藩10万石となりました。

明治の廃藩置県に伴い廃城となって構造物はほとんどが撤去され、城跡は公園となりました。

1988年、行田市郷土博物館が開館、御三階櫓は鉄筋コンクリートで外観復興されています。

荒城の月の真意

忍城は御三階櫓が復興され城姿を見せていますが、ほとんど公園になっています。
この情景からは、あまり荒城の月の絵姿は思い描くことができないと感じます。
しかしこの忍城の歴史は、荒城の月の真意、「無常」をよく物語っているのです。

荒城の月の歌詞は土井晩翠の作詞によるものです。
土井晩翠は、仏教を信仰し、深く理解していました。
仏教の根本概念に、「無常」という言葉があります。
無常は常が無いと書かれますが、この常というのは、いつまでも変わらないということを意味しますので、「無常」は、何時までも変わらないものは無い、という意味になります。
土井晩翠は荒城の月によって、人々に「無常」を伝えたかったのです。
この世の中には、何時までも変わらないものは存在しないのだということを伝えたかったのです。
これが荒城の月の真意なのです。
荒城の月の歌詞は、絵を見るように素晴らしい情景を表していますが、それ以上に、この「無常」を伝えたかったのです。

荒城の月の歌詞、四番に、「栄枯は移る」とされています。
すべては移っていくと言っています。
言葉を変えて、この世は「無常」であることを示しているのです。
この「無常」が荒城の月の真意なのです。

荒城の月を思うとき、忍城の歴史はまさしく「無常」を物語っています。
荒城の月の真意を表しているのです。

参照 忍城(Wikipedia)

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