荒城の月を思う城 松本城

荒れた城には見えませんが、荒城の月の歌詞も示している城です
   

松本城

松本城は、松本市にある城です。天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されています。荒れた城には見えませんが、荒城の月の歌詞の意味が示す城なのです。

歴史

1520年ころ、小笠原氏によって築城されたのが始まりといわれています。

1550年、武田氏により小笠原長時は追放され、武田氏は馬場信春に松本盆地を支配させました。
その後は越後国の上杉謙信と争ったりしながら、信濃一帯を領国としました。

1582年、武田氏滅亡により織田長益に明け渡されました。
本能寺の変後、上杉景勝に擁立され、小笠原洞雪斎が奪還しています。

さらに徳川家康により小笠原貞慶が以前の領地を回復し、同時に松本城と名付けました。

大坂の陣以後は、松本藩の藩庁となっています。戸田松平家が代々の居城として使っています。
1727年、本丸御殿が焼失し、以後は二の丸で執務がとられました。

明治維新後、天守が競売にかけられましたが、市川量造らの尽力によって難を逃れています。
明治30年代、天守が傾きだしました。これを心配した小林有也らによる天主保存会が設立され、明治の大修理が行われています。

1876年、当時県庁となっていた二ノ丸御殿が全焼し、跡地には松本地方裁判所が建っています。

昭和5年、国の史跡に指定され、昭和11年には天守や月見櫓など5棟が国宝に指定されています。
昭和30年には「昭和の大修理」と言われる解体復元工事が行われました。
平成18年、日本100名城に選定されています。

荒城の月

松本城はとても「荒城」とは思えません。とても立派にそびえ立っています。
ここに月が出てくれば「荒城の月」と言えるのでしょうか。
荒城の月は土井晩翠によって作詞されたわけですが、土井家は檀家総代であり、仏教に深い理解があったものと思われます。
荒城の月の歌詞は、昔の光は今は無くなっている、荒れ果てた石垣には葛が這っていると情景をまざまざといい表しています。
まるで絵を見ているようです。
確かに土井晩翠は、この荒城の月で、とてもきれいにそのような絵姿を表していますが、歌詞の意味をよくよく見てみますと、もっと深い意味があることに気が付きます。
特に歌詞四番の「栄枯は移る世の姿」です。これは絵ではなく、仏教でいう無常を表現している言葉だと解釈できます。
無常というのは、常は無いと書かれている通り、世の中には移り変わらないものはあり得ない、ということを示している言葉です。
仏教の核心であり、仏教の心です。
松本城も歴史に見る通り、様々に移り変わっています。
「荒城の月」の歌詞の中には、このような深い意味が入れ込まれているのです。

参照 松本城(Wikipedia)

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