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荒城の月を思う城 春日山城上杉謙信の城として知られる国の史跡。荒城の月を思わせる城。 |
春日山城春日山城(かすがやまじょう)は、上越市にあった城で、上杉謙信の城として知られる国の史跡。荒城の月を思わせる城です。歴史 1548年、後に上杉謙信と言われる長尾景虎が、兄の長尾晴景から家督を相続してこの城に来ています。 1579年、上杉謙信の養子、上杉景勝が入城しました。 1598年、上杉景勝が会津へ移り、堀秀治が入城しました。 1606年、堀秀治が亡くなり、子である堀忠俊が引き継ぎました。 1607年、福島城が完成したため、春日山城を廃城として行政組織を移しました。 明治34年、 春日山神社が創建されました。 昭和6年、毘沙門堂が復元されています。 昭和10年、城跡周辺を含め国の史跡に指定されました。 昭和49年、「東城砦」部分が国の史跡に追加指定されました。ここは別名、春日砦とも言われます。 これは、この城は従来考えられていたよりも広く、主城の周辺に配置されている砦や土塁、堀なども城と一体として考えるべきだとされたためです。 2006年 日本100名城に選定されました。 荒城の月 荒城の月は、荒れた城を表に出して、世の「無常」を表そうとしている詩です。 荒城の月の歌詞を一見しますと、非常にリアルな絵姿が目に浮かびます。 昔の光は今は無く、石垣にはツタが這い、松は風に吹かれて音を出している。こんな姿を夜の月が照らし出しているという絵姿が目に浮かびます。 そういう意味でも、この春日山城の延々とした砦や土塁、堀は荒城の月の歌詞を思わせてくれます。 しかし荒城の月の歌詞を作った土井晩翠は、もっと深い意味を人々に伝えたかったのです。 土井晩翠の家は菩提氏の檀家総代でもあり、仏教を信仰し、深い知識を持っていました。 この仏教の言葉として、「無常」という言葉があります。 この無常というのは、常は無いと書かれていますが、常なるものは無い、という意味です。 常なるものということは、常であって永遠に変わらないものを示していますので、「無常」は、この世の中には永遠に変わらないものは無い、ということを言っているわけです。 これは仏教の教えの中でも中心的な考え方であり、仏教の心です。 荒城の月の歌詞四番に「栄枯は移る世の姿」とあります。 土井晩翠は考えに考え、練りに練って、この言葉を入れたに違いありません。私はそう解釈します。 この荒城の月の歌詞は、ありありとした絵姿を目に見させながら、「無常」を人々に伝えようとしているのです。 この無常を本当に悟ることが出来れば、仏教を悟ったことになります。 それほど重要な言葉です。 土井晩翠は、歌詞を練りに練って、このことを人々に伝えたく、作り上げたのがこの、「荒城の月」なのです。 参照 春日山城(Wikipedia)
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