荒城の月を思う城 松前城

松前城は北海道松前町にあった平山城
   

松前城

松前城は北海道松前町にあった平山城。福山城とも呼ばれます。天守は焼失しましたが古い城址(城跡)です。国の史跡に指定された城で、荒城の月を思い起こさせます。

3重の天守を持つ建物で、1854年に竣工し、松前城と呼ばれています。

海側からの艦砲射撃に備えて砲台を備えました。
また城壁の中には鉄板を仕込んでおり、本丸までの通路は複雑になっており、側面から鉄砲などで射撃しやすい構造にしていました。
寒いところでもあり、瓦は割れやすいため、天守や櫓、門の屋根には銅板を葺いていました。

普通は天守の壁は竹で編んだ骨組みに壁土を塗りこむのですが、ロシア戦の砲撃にも耐えられるように考え、壁の中に硬いケヤキ板を仕込んでいた言われます。

石垣の石は付近の山で採れる、加工しやすい緑色の岩が使用されていたため、緑色の石垣に覆われた全国でも珍しい城となっていました。

明治元年秋、旧幕府の軍勢は、官軍の拠点である五稜郭を制圧した後、700名ほどを率いて松前城を攻撃しました。
松前藩兵は防戦に努めたものの、わずか数時間で落城してしまいました。
これは、旧幕府軍軍艦の艦砲射撃がすさまじかったからだと言われます。
大手門からの通路は曲がりくねって鉄砲の的になりやすい効果的な構えとしていたのですが、敵は攻めてこないもの考え、直線にしてしまい、防御力の低い配備にしてしまっていたことも敗因となりました。
これを衝かれた形となってしまったわけです。
現在も石垣にこのときの弾痕がいくつも残っています。

城と言うのはどうしてこのように落ちてしまうのでしょうか。
敵が強かったと言うのではなく、無常を感じるのです。
いつまでも続くものはこの世にはないことを、荒城の月における歌詞の中で、「栄枯は移る」と言っています。

この松前城という城を、歴史とともに考えると、荒城の月の歌詞を思い起こしてしまいます。
荒城の月の歌詞は土井晩翠が作ったものですが、荒れた城と月を見て、この世の無常をよく言っていると思います。

参照 松前城(Wikipedia)

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