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荒城の月を思う城 弘前城天守や櫓などが現存し重要文化財。城跡、城址は国の史跡。 |
弘前城弘前城は、青森県弘前市にある城で、別名、鷹岡城、高岡城とも言われます。天守や櫓などが現存し重要文化財になっています。また城跡(城址)は国の史跡に指定されています。江戸時代には弘前藩津軽氏4万7千石の居城でした。 津軽地方の政治経済の中心地となり、城は津軽平野にあります。城郭は本丸、北の郭、西の郭、二の丸、三の丸、四の丸の6郭の作りとなる平山城です。 堀、石垣、土塁等城郭としての全部がほぼ廃城時の原形をとどめています。 天守が現存でも残っています。 1594年 大浦為信は、現在の弘前市堀越に堀越城を築き大浦城から移ってきました。 しかし、軍事に不向きであると考え、新しい城の候補を現在の弘前城の地、鷹岡に選定しました。 1600年大浦為信は関ヶ原の戦いで東軍に付き、勝利によって徳川家康より2千石の加増を受けて4万7千石の弘前藩が誕生しました。 1603年大浦為信は、鷹岡に築城を開始しましたが、翌年京都で死亡したため築城は中断しました。 数年後、2代信枚(信牧)は築城を再開し、1611年鷹岡城がほぼ完成しました。 ところが、1627年落雷により、鷹岡城の天守は炎上し内部の火薬が大爆発してしまいました。 そのため5層6階の天守、本丸御殿、諸櫓を焼失してしまい、以後、200年近く天守のない時代が続きました。 1810年になって 9代藩主津軽寧親が幕府に願い出て、現在見られる3層3階の天守が建てられました。 1903年桜が植えられ、桜の名所となりました。 天守もあり、桜もあるとなりますと、思い浮かぶのは「荒城の月」の歌詞です。 春高楼の花の宴、と言っています。春は桜の季節です。高楼は天守を意味します。 天守の前の広場では盛大な宴が催されていのでしょう。飲み廻される盃には月の明かりで松の枝が写っていたようです。 今はこの城は国の史跡に指定され、重要文化財となっていますが、「栄枯は移る世の姿」と歌っている「荒城の月」の歌詞が思い起こされてなりません。 参照 弘前城(Wikipedia)
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