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荒城の月を思う城 赤穂城浅野氏の『元禄赤穂事件』で有名 |
荒城の月を思う歴史と真意赤穂城は、赤穂市にある城。浅野氏の『元禄赤穂事件』で有名。荒城の月を思うとき、時と共に移り変わる歴史を赤穂城は語ってくれます。赤穂城の歴史1466年頃、最初に岡光広が加里屋城を築城しました。1600年、池田長政が赤穂城の前身となる大鷹城を赤穂郡加里屋に築城。 1661年、赤穂城が完成します。 1645年、輝興、発狂により改易となり、城は水谷勝隆預かりとなりました。 1701年、刃傷事件により浅野氏は改易となり、城は脇坂安照預かりになりました。 1702年、元家臣による吉良邸討ち入り事件が起こりました。 1706年、備中国西江原藩から、森長直が2万石で入いりました。 森氏は、廃藩置県までの12代165年間、赤穂藩主として最も長く居城することになります。 1862年、森主税を暗殺する事件が起きています。 明治6年、廃城令により廃城となりました。 明治30年、大石神社を建立するため、大手門枡形の南側を埋めています。 昭和10年、大手門前の堀と太鼓橋を復元。 昭和28年、本丸の外堀を復元。 昭和30年、大手隅櫓と大手門が再建。 昭和46年、赤穂城が国の史跡に指定。 平成2年、本丸庭園を整備。 平成8年、大手門枡形、本丸門、枡形、厩口門を再建。 平成14年、 本丸庭園および二の丸庭園が国の名勝となりました。 現在二の丸庭園を再建中。 荒城の月の真意荒城の月の歌詞は土井晩翠の作です。この歌詞は、荒れ果てた城の石垣にはツタが茂り、松は風に音を立てているなどと言った情景を非常に鮮明にしています。 土井晩翠の作詞力は並大抵のものではありません。 しかし、土井晩翠はこの荒城の月の歌詞において、そのような絵姿もさることながら、もっと深い意味を言おうとしているのです。 それは、「無常」を人々に伝えようとしていることです。ここに彼の真意があるのです。 無常は仏教の言葉ですが、荒城の月の歌詞四番に「栄枯は移る」とされている意味とほとんど同じ意味です。 土井晩翠は仏教を信仰していますので、この「無常」という言葉を直接歌詞の中に入れたかったでしょうけれども、これは難しい言葉でもあり、宗教用語ですので使ってはいません。 その代わりに「栄枯は移る」としたわけです。 無常は、常が無いと書きますが、その常というのは、変化しないと言うことを意味しますから、この世には変化しないものは無い、という意味になります。 赤穂城の歴史は、時と共に激しく移り変わっています。 荒城の月で、土井晩翠が言いたかった「無常」そのものです。 荒城の月の歌詞を思うとき、赤穂城の歴史は、土井晩翠の言いたかった「無常」を見事に語ってくれるのです。 参照 赤穂城(Wikipedia)
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