荒城の月を思う城 盛岡城

白い花崗岩で組まれたこの城の石垣はとても綺麗
   

盛岡城

盛岡城は盛岡市にあった城で国の史跡に指定されています。白い花崗岩で組まれたこの城跡の石垣はとても綺麗に残っています。荒城の月を思い浮かべてしまいます。

盛岡城は盛岡藩南部氏の居城として作られました。

天下統一後の豊臣秀吉より、当主の南部信直が5つの国(郡)の所領を安堵され、1598年嫡男の利直に築城を命じ、兵学者の内堀伊豆を中心として築城に着手しました。

慶長年間(1615年頃)には総石垣の城としてほぼ完成しています。
利直は地名を「盛り上がり栄える岡」と言う願いを込め、「盛岡」と名付けました。
築城のために、三の丸を整地した際に見つかった烏帽子岩は現在も三の丸跡に残っており、櫻山神社の社宝として崇敬されています。

また、築城と共に城下町作りを進め、湿地帯を埋め立てて町にしました。この湿地帯の中津川には「上ノ橋」「中ノ橋」「下ノ橋」が架けられ、盛岡三橋と言われます。

盛岡城の全城が竣工したのは3代目藩主の重直の時ですが、翌年、失火により本丸を焼失してしまいました。
それでも翌年の1635年には修復され、盛岡藩の藩庁として明治維新を迎えています。

1874年(明治7年)に廃城令が出ました。
一度は初存させる城とされたのですが、老朽化が著しく、ほとんどの建物が解体移築されました。
その後、陸軍用地に指定された所にあった建物を除いて残りは旧藩主南部家に払い下げとなりました。

昭和9年、南部家に払い下げられていた城跡地は南部家より盛岡市に譲渡されています。
その後、 城跡が国の史跡に指定されています。
その理由として、「この城跡は、堀や土塁、石壁などの保存状態が良く、見るべき価値あるもの」だからとされています。

確かにこの石垣は綺麗ですし、当時の栄華や勢力を物語っているようであり、荒城の月の歌詞にいう通りだと思います。
土井晩翠の荒城の月、この歌詞の栄枯は移るとは本当によく言ったものだと思います。

参照 盛岡城(Wikipedia)

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