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荒城の月を思う城 吉田郡山城

吉田郡山城はまさに「荒城」ですが、歴史は荒城の月の真意を語っています
   

荒城の月を思う歴史と真意

吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)、広島県安芸高田市にあった城。現在は荒城の月を思うような石垣もほとんどなく、まさに「荒城」ですが、歴史は荒城の月の真意を語っています。

吉田郡山城の歴史

吉田郡山城の築城時期は明らかになっていませんが、1325年より後に築城されたと考えられています。
当初は砦程度の小規模な城でした。

1523年、毛利元就が入城し、郡山全体に城域を拡張しています。
1551年頃、さらに城域が拡張されました。
城内には、城主元就だけでなく、重臣たちの館も設けられ、平時の居館と戦時の城郭が一体化した城に変わってきました。
はじめは天守はありませんでしたが、見張り用の櫓が本丸に建てられています。
輝元時代には三層三階の天守が作られたとも言われます。

1591年、広島城が完成すると、家臣や城下町の人々は広島城下に移住しました。

廃城時期は天正19年と考えられています。
1615年、江戸幕府の一国一城令により郡山城も取り壊されました。
さらに島原の乱が起きた時、キリシタンを恐れた幕府により、石垣や堀なども壊されました。

明治2年、廃藩となって陣屋の建物も壊されました。

昭和15年、吉田郡山城跡は国の史跡に指定されています。
昭和63年、猿掛城跡が追加され、「毛利氏城跡」となりました。
平成18年、日本100名城に選定されました。

荒城の月の真意

荒城の月の作詞者は土井晩翠ですが、土井晩翠は仏教を深く信仰しており、仏教の根本概念である「無常」についてよく理解していました。
無常というのは、常が無いと書いてありますが、常というのは変化しないと言う意味ですので、この世には変化しないものは無いと言う意味になります。
土井晩翠は、荒城の月の歌詞を通して、この無常観を人々に知らせたかったのです。
荒城の月の歌詞は、非常に綺麗な絵姿を目の当たりに示してくれます。
しかし土井晩翠はその絵姿を思わせることだけを意識したのではありません。
荒城の月の歌詞の真意はもっと深いところにあります。

おそらく土井晩翠は荒城の月の歌詞の中で、「無常」という言葉を使いたかったでしょうか、これは宗教の言葉であり、使うことをためらったものと考えられます。
しかし、荒城の月、歌詞、四番に、「栄枯は移る」としています。
栄えていても、衰えていても、いずれはその姿は変わっていくと言っているのです。
これは「無常」と同じ意味になります。
彼の言いたかった真意はここに在ります。
荒城の月を通して、人々に世の中は無常なのだと伝えたかったのです。

荒城の月を思うとき、吉田郡山城の歴史はまさに無常を語りかけてくれます。
吉田郡山城の歴史は、荒城の月の真意を表しているのです。

参照 吉田郡山城(Wikipedia)

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