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荒城の月を思う城 岩国城荒れ城には見えませんが、荒城の月の真意、「無常」を物語っています |
荒城の月を思う歴史と真意岩国城は錦帯橋を渡った所にある城です。天守は復元され、あまり「荒れ城」には見えませんが、その歴史は荒城の月の真意、「無常」を物語っています。岩国城の歴史1601年、広家がこの地に赴任し、岩国城の築城が開始されました。同時期に横山城の築城が開始されました。築城には8年の歳月が費やされ本丸には天守が建造されました。 1615年、完成からわずか7年後、一国一城令により横山城が廃城となりました。 これは、周防国にはこの岩国城のみがあったのですが、長府藩の毛利秀元が櫛崎城を捨てたことに合わせるためのことでした。 その後、麓の土居は岩国領として、明治維新まで存続しました。 岩国領は長州藩から支藩として認められず、陪臣として扱われました。 1868年、ようやく独立の藩として認められ諸侯に列しました。 明治4年、廃藩置県によって廃藩とされました。 明治18年、「土居」跡が吉香公園となりました。 堀端に錦雲閣が昔の櫓を模して建造され、現存も残っています。 昭和37年、本丸南側に鉄筋コンクリートの天守が建てられました。山上には、他に石垣や堀の遺構があります。 平成18年、日本100名城に選定されています。 平成19年、山上と吉香公園を結ぶロープウェイが作られました。 荒城の月の真意岩国城は残っている石垣もあり「荒城」とも見えますが、天守は復元されて立派なお城に見えます。荒城の月の歌詞では、昔の建物は無く、ただ石垣にはツタが生い茂り、月が昇ってくると言うような情景が書かれています。 それは見事な描写であり、作詞者土井晩翠の力量は人並み外れたものであったことが伺えます。 しかし、土井晩翠はそのような情景の絵姿だけを言っているのではなく、荒城の月の中にはもっと深い意味をこめているのです。 土井晩翠は仏教を深く信仰しており、仏教の根本概念、「無常」ということについてよく理解しておりました。 無常というのは、常が無いと書きますが、その常というのはいつまでも変らないと言うことを意味しますから、いつまでも変らないでいられるものは無いと言う意味になります。 土井晩翠は荒城の月の中で本当に言いたかった真意は、この「無常」なのです。 出来ることなら、荒城の月の歌詞の中に「無常」という言葉を入れたかったのでしょうが、これは宗教用語であり、差し控えたものと思われます。 荒城の月の歌詞四番に、「栄枯は移る」としてあります。 栄えているにしても、衰えているにしても、いつまでもそのままということは無く、時と共に移り変わっていくと言っています。 これは正に「無常」と同じです。 土井晩翠は、荒城の月で、絵姿も表現していますが、本当はこの「無常観」を人々に伝えたかったのです。これが彼の真意です。 荒城の月の真意は、人々に世の中は無常であることを伝えることにあったのです。 岩国城の歴史をご覧ください。 せっかく作った城を出て行かされ、ついには壊されてしまう。 しかしそれを残念に思った人々が復興天守を作り、昔の姿を取り戻す。 時と共に移り変わっているではありませんか。 荒城の月を思うとき、岩国城の歴史は荒城の月の真意、「無常」を実によく物語っているのです。 参照 岩国城(Wikipedia)
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