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荒城の月を思う城 今治城

外観は「荒城」とは言えませんが、荒城の月の真意「無常」を語っています
   

荒城の月を思う歴史と真意

今治城は外から見た限りではとても「荒城」とは言えません。お城そのものの形をしています。荒城の月では、荒れた城を表現していますが、この城はその歴史を持って、荒城の月の真意「無常」を語っています。

今治城の歴史

1602年、藤堂高虎が築城を開始し、1604年に完成しています。
三重の堀があり、そこには海水を引き入れる構造で、海から直接船で入ることができました。
海を活用した城となっていました。

二之丸には藩主館があり、側近武士の屋敷や侍屋敷、さらに城門が9ヶ所、櫓が20ヶ所などとと非常に大きな城でした。

1609年、高虎が伊勢国津城に移されました。
高虎自身は移されましたが、今治領2万石は養子の高吉が継ぎ、入城しています。

1635年、高吉は伊賀国名張に移ることとなり、代わって松平定房が入城しました。

明治2年、廃城となり、ほとんどの建築物が壊されました。
二の丸北隅の武具櫓は残されましたが、明治4年火災が発生し、爆発炎上してしまいました。

昭和55年、天守が鉄筋コンクリートで作られました。
昭和60年、東隅櫓が御金櫓として復元されました。
平成2年、山里櫓が再建されました。

平成18年、日本100名城に選定されています。
平成19年、史実に基づき、鉄御門が石垣や多聞櫓とともに復元されました。
石垣と内堀の一部で、近代になって改修工事が行われています。

荒城の月の真意

今治城はとても綺麗に修復されており、とても「荒れ果てた城」には見えません。
荒城の月の歌詞では、ただ石垣のみが残り、ツタが生い茂っていると言っていますので、荒城の月の思う城ではないようにも考えられますが、実は、この今治城の歴史を思うと、荒城の月の言いたかった真意を物語っていることに気が付きます。
荒城の月の歌詞は土井晩翠の作詞によるものです。
土井晩翠は仏教を深く信仰し、仏教の心、「無常」についてよく理解していました。
無常とは、常が無いと書きますが、その「常」というのは、いつまでたっても変らないと言うことを意味しますので、この世の中には変わらないものは無い、という意味になります。
つまり、全てのものは変わっていくと言っているのです。

土井晩翠は、本当は荒城の月の歌詞の中で、「無常」という言葉を使いたかったのでしょうがそれは避けました。
しかし、荒城の月歌詞四番に、「栄枯は移る」としました。
栄も衰えもいつまでも続くことは無く、必ず変わっていくと言っているのです。
これは、土井晩翠の本当に言いたかったことであり、荒城の月の真意なのです。
荒城の月の真意は、「無常」を人々に伝えることにあったのです。

荒城の月を思うとき、今治城の移り変わる歴史は、荒城の月の真意「無常」を物語ってくれているのです。

参照 今治城(Wikipedia)

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