荒城の月を思う城 多賀城

現在は何もないただの広い芝生広場のように見えます
   

多賀城

多賀城は現在は何もないただの広い芝生広場のように見えます。現在の宮城県多賀城市にあった古代の城で、国の特別史跡に指定されています。

多賀城跡遺跡の調査が行われたところ、大変大きな城の跡であることが分かってきました。
城の四方には土塁がめぐらされ、その大きさは800m〜1000mに渡ります。
更にその中心付近に東西約106m、南北約170mの平坦な区域があり、土塁で囲まれています。
そこに主要な建物の跡らしい柱穴や礎石がたくさん見つかりました。

これらの遺構は昭和41年4月11日、国の特別史跡に指定されました。
その後も発掘調査が進められた結果、多賀城跡のほかに、多賀城廃寺跡、館前遺跡、柏木遺跡、山王遺跡などが追加指定されました。

多賀城の創建は大変古く、724年に按察使大野東人が築城したとされています。
8世紀初めから10世紀半ばまで長く存続し、その間4回の造改築が行われています。

第1期は724年創建から762年まで
第2期は762年藤原恵美朝狩が改修してから780年に伊治公砦麻呂の反乱で焼失するまで
第3期は780年焼失の復興から869年の大地震による倒壊まで
第4期は869年震災の復興から、その後維持、管理されなくなり、10世紀後半頃に廃絶されるまで。
しかし11世紀後半の前九年の役などでは軍事的拠点としてまだ機能していたようです。

荒城の月の歌詞には、栄枯は移るとされています。この歌詞は土井晩翠の作詞ですが、無常を歌いこんでいるものと思います。
また、この歌詞には、昔の光今いずことされています。これも無常と同様に、盛者必衰の理りを表すと歌われた平家物語のように、世の中は移り変わるものであると言うことを、荒城の月の歌詞の中に込めているのではないでしょうか。

参照 多賀城(Wikipedia)

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