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荒城の月を思う城 湯築城

まさに荒れ城ですが、その歴史は「無常」をよく語ってくれています
   

荒城の月を思う歴史と真意

現在の湯築城は堀と丘があるのみとなり、まさに荒れ城です。荒城の月に言う情景とは少し異なりますが、この城の歴史は荒城の月の言いたかった真意、「無常」をよく語ってくれています。

湯築城の歴史

1335年、河野通盛の代に築城されました。
1535年、通直は外堀を造りました。

1581年、長宗我部元親と、通直は戦っています。

1585年、羽柴秀吉の命により、小早川隆景らの軍が侵攻し、湯築城は篭城の後に降伏しました。
城に居た通直の命は助けられたのですが、2年後に病没しています。

1587年、福島正則が城主となりました。しかし間もなくして国分山城に移ったたため、湯築城は廃城となりました。
1602年、松山城が築城されることとなり、湯築城の建材が流用されたことがわかっています。

明治21年、道後公園となりました。
平成14年、国の史跡に指定されました。
平成18年、日本100名城に選定されています。

荒城の月の真意

荒城の月の歌詞は土井晩翠によって作られました。
土井晩翠は仏教に精通しており、仏教の心、「無常」をよく心得ていました。
無常というのは常が無いと書きますが、この「常」というのは、いつまでたっても変らないことを意味していますから、この世の中にはいつまでも変らないものは無い、という意味になります。
土井晩翠は荒城の月の歌詞において、素晴らしい絵姿を表しています。
荒れ果てた城の石垣にはツタが生い茂り、月が昇ってくると言う情景を見事に表現しています。

しかし、土井晩翠が荒城の月において本当に述べたかったのは、この「無常」なのです。
歌詞四番で「栄枯は移る」としています。
栄えていても、衰えていても、いつまでも続くことは無いと言ったわけです。
これは「無常」を言っているわけです。
彼が荒城の月で本当に述べたかった真意はここなのです。「無常」を人々に伝えたかったのです。

荒城の月を思うとき、湯築城の歴史は荒城の月の真意「無常」をみごとに語ってくれています。
湯築城の姿は時と共に移り変わっています。
荒城の月の真意を語っているのです。

参照 湯築城(Wikipedia)

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