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荒城の月を思う城 福岡城

現在は櫓もあり、ただの石垣もありと言ったところです
   

荒城の月を思う歴史と真意

福岡城は櫓もあり、ただの石垣もありと言ったところですが、荒城の月を思うとき、この城の歴史は荒城の月の真意「無常」を語ってくれます。

福岡城の歴史

1600年、 関ヶ原の戦いの功績により、黒田孝高・長政父子は52万3千石で筑前名島に入封しました。
筑前の旧領主であった小早川秀秋の名島城に入城しまし、名島城を廃して、福崎丘陵に新しく城を作ることにしました。

1601年、築城が開始され、1607年に竣工していますが、7年かかっています。

江戸期には、歴代の藩主が二の丸御殿や西の丸御殿などの増築を行っています。
特に11代藩主、黒田長溥は大改修を行っています。

明治4年、廃藩置県により福岡県庁が置かれました。

明治6年、廃城令により存城処分となりましたが、多くの建造物が解体されました。
明治35年、 床下に保存してあった火薬が突然爆発し鉄物櫓が焼失しました。

大正9年、祈念櫓が北九州市の大正寺に移築されました。
昭和58年、なんと再び元の地に戻されました。

昭和27年から昭和31年にかけ、潮見櫓、大手門や祈念櫓が福岡県文化財に指定されました。
昭和32年、城跡が国の史跡として指定されました。
昭和46年、多聞櫓などが重要文化財に指定されました。
平成12年、下之橋御門が焼けましたが、修復工事がおこなわれ、平成20年一般公開されました。

平成18年、 日本100名城に選定されました。
平成28年、 多聞櫓の改修工事が始まりました。

荒城の月の真意

荒城の月の歌詞は土井晩翠が作った詩です。
土井晩翠はこの荒城の月において、とても綺麗な絵姿を表現していますが、実はもっと深い意味を持っているのです。

土井晩翠は仏教を深く理解し、信仰していましたので、仏教にいう「無常」を人々に伝えたかったのです。
無常というのは、世の中には変わらないでいられるものは何もないと言う意味です。
この無常観を荒城の月の歌詞によって人々に伝えたいと言うのが彼の真意なのです。

荒れ果てた城の石垣にはツタが生い茂っているとして、まるで絵を見ているように素晴らしい情景を述べています。
このことのみを素直に受け止めますと、立派な形をとどめているお城は「荒城」ではありませんから、荒城の月の歌詞には適合しないことになってしまいます。
しかし、土井晩翠は確かにそのような絵姿を述べていますが、この歌詞において「無常」を伝えようと言う真意が取り込まれており、その観点からは福岡城は適合しています。

荒城の月、歌詞、四番に、「栄枯は移る」としてあります。
栄ていても枯れていても、時と共に移り変わると言っているのです。
これはまさしく「無常」にほかなりません。

「無常」という言葉の代わりに「栄枯は移る」としたわけですが、これは恐らく仏教用語である言葉を避けたためではないかと考えられます。
しかし、言いたいことは明らかに「無常」なのです。
荒城の月が人々に伝えたかった真意はこの「無常」なのです。

今現在の城の姿があっても無くても、その城が時と共に移り変わっているならば、「無常」を示しているわけです。
そのような観点で荒城の月を思うとき、福岡城の歴史は荒城の月の真意を物語っているのです。

参照 福岡城(Wikipedia)

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