荒城の月を思う城 仙台城

仙台市にあった城。別名「青葉城」。荒城の月はこの城をイメージしたのかも。
   

仙台城

仙台城は、現在の仙台市にあった城です。別名は「青葉城」。国の史跡に指定されています。荒城の月の作詞者土井晩翠はこの城をイメージしたのではないかと言われています。

仙台城は伊達政宗が築造ましたが、廃城令が出るまで270年に渡り伊達氏代々の居城でした。
この城は仙台藩の行政の場として機能しました。

仙台城は約2万坪で、全国規模の城です。72万石の大名の城でした。

城は、伊達政宗期に造営された本丸、西の丸と、二代目伊達忠宗期に造営された山麓の二の丸、三の丸、それに付随する櫓、門で構成されています。

本丸は、大手門を抜け、左に折れた坂道を上り、中門を抜けて詰門を抜けたところにあります。
本丸の中央付近には大広間があり、周囲には、詰門や脇櫓、二重櫓、多門櫓などが構えられていました。

天皇家や将軍家が来た場合のみ開かれる御成門がありましたが、一度も開くことはありませんでした。
大広間には藩主が座する上段の間がありますが、更にその上に、天皇家、将軍家専用の上々段の間がありましたがこれも使用されることはありませんでした。

石垣は切込接と呼ばれる積み方を用いられています。
隅石表面は、「江戸切」と呼ばれる技法が施されています。
平成になってからの本丸石垣の修復工事の際、時代の異なる2つの石垣が現石垣中から見つかっています。
伊達政宗が、この城は改修するようにと遺言したとおり、落とされない要塞として残ってきた城です。

大手門は国宝に指定されました。楼門型式の櫓門で、桐や菊紋の飾り金具などが施されていました。
名護屋城の大手門を「写した」ものではないかともいわれています。
しかし太平洋戦争末期の昭和20年、アメリカ軍による仙台空襲により焼失しました。

荒城の月の歌詞の作詞者土井晩翠は仙台に住んでいたことから、荒城の月の歌詞を作るとき、この仙台城を頭に描いていたのではないかと言われています。

参照 仙台城(Wikipedia)

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