荒城の月TOP荒城の月を思う城

荒城の月を思う城 平戸城

模擬天守や櫓、ツタの生い茂った石垣もあります
   

荒城の月を思う歴史と真意

平戸城は亀岡城とも言われますが、模擬天守や櫓があり、ツタの生い茂った石垣もあります。荒城の月を思う城ですが、荒城の月の真意は「無常」を伝えることにあったのです。

平戸城の歴史

1599年、松浦鎮信が現在の城地に最初の築城を開始しました。
1613年、江戸幕府の嫌疑を避けるため、自ら火を放ち城を破却してしまいました。

鎮信は、平戸港の北側に、「中の館」構え、平戸藩の藩庁としました。

1702年、松浦重信は幕府に築城を願い出て許可されました。
江戸時代中期に築城が許可されたのは異例なことです。これは徳川家との姻戚関係又は東シナ海警備のためではないかと言われています。
1704年2月、5代藩主松浦棟によって着工され、3年後にほぼ完成しました。
天守は無く、二の丸の3重3階の乾櫓を代用としました。

明治4年、廃城令により廃城となり、城の建物は解体されたましたが、現存する狸櫓と北虎口門は残されました。

昭和37年、模擬天守及び復興の見奏櫓と乾櫓、地蔵坂櫓、懐柔櫓が造られました。
天守内は資料館となっており環頭大刀なども展示されています。
城跡には亀岡神社や亀岡公園が出来、市民グラウンドもあります。
平成18年、日本100名城に選定されています。

荒城の月の真意

荒城の月は素晴らしい絵姿を私たちの目の前に映し出してくれます。
荒れ果てた城には主はいなく、石垣にはツタが生い茂り、夜半には月が昇ってくる様子をまざまざと思うことが出来ます。
しかし、この荒城の月にはもっと深い意味があるのです。
「無常」ということを人々に伝えたいと言う真意があるのです。

荒城の月の歌詞は土井晩翠の作によるものです。
土井晩翠は人並み外れた作詞力を持っていましたが、彼の実家は菩提寺の檀家総代を務めていましたので、仏教を信仰し、深く理解していました。
仏教の根本概念に「無常」という言葉かあります。
無常というのは、常が無いと書かれますが、この「常」というのは、いつまでも変らないと言う意味を持っていますので、「無常」は、いつまでも変らないものは無いと言う意味になります。

土井晩翠はこの無常観を人々に伝えたかったのです。
荒城の月の歌詞の中に直接入れたかったのでしょうが、宗教用語であり、控えたものと推定されます。
しかし、荒城の月歌詞四番に、「栄枯は移る」としています。
栄も、枯も、時と共に移っていくと言っています。
つまり、「栄枯は移る」は「無常」と同じことを意味しているわけです。

荒城の月は、世の「無常」を人々に伝えたいと言う真意を持っているのです。
荒城の月を思うとき、平戸城の歴史は正に「無常」であり、荒城の月の真意を語ってくれるのです。

参照 平戸城(Wikipedia)

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