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荒城の月を思う城 島原城

荒城の月の真意、「無常」をよく語っています
   

荒城の月を思う歴史と真意

天守や櫓が復元され城の姿になっていますが、多くの石垣の上には建物はありません。しかし、荒城の月の真意「無常」をよく物語っています。

島原城の歴史

1616年、松倉重政が日野江城に入城しました。

1618年、日野江城は手狭だったため、島原城の築城を開始しました。
1624年、 島原城完成。

1637年、重政や勝家の圧政のため島原の乱が起こりました。
勝家は騒乱に導いた責により斬首となり、松倉氏は改易となりました。

1638年、高力忠房が4万石で入ってきましたが、その後、譜代大名が4家入れ替わっています。

明治4年、 廃藩置県によって島原県となりました。この時、藩主は松平家でした。

明治7年、 廃城令により、廃城処分になりました。土地建物などは払い下げられました。
明治9年、天守を始め建物は破却されました。

昭和35年、西櫓が復元されました。
昭和39年、天守が復元されました。
昭和47年、巽櫓が復元されました。
昭和55年、丑寅櫓と長塀が復元されました。
平成18年、日本100名城に選定されています。
平成28年、城跡は長崎県指定史跡に指定されています。

荒城の月の真意

荒城の月の歌詞は見事な絵姿を示してくれています。
荒れ果てた城の石垣にはツタが生い茂り、月が昇ってくる様子はまるで絵を見ているようです。
しかし荒城の月の言いたかったことは、「無常」ということなのです。
荒城の月の真意はここに在ります。

荒城の月の作詞は土井晩翠です。
土井晩翠は仏教を信仰し、深く理解していましたので、仏教の根本概念である「無常」ということをよく理解していました。
この無常というのは、世の中にはいつまでも変らないものは無いと言う意味です。
この無常観を土井晩翠は荒城の月によって人々に伝えたかったのです。
荒城の月の真意は、「無常」を伝えることなのです。

荒城の月の歌詞、四番に、「栄枯は移る」としてあります。
栄も、枯も、時と共に移る。としてあります。
これは「無常」と同じ意味です。
土井晩翠は「無常」という言葉の代わりに「栄枯は移る」という言葉を使ったのです。
これはおそらく、宗教用語を避けたためと思われますが、彼の言いたかったことはこれで十分にわかります。
「無常」を伝えたかったのです。

荒城の月を思うとき、島原城の歴史は荒城の月の真意「無常」を静かに語っているのです。

参照 島原城(Wikipedia)

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