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荒城の月を思う城 岡城

高い石垣が残るのみですが岡城の歴史は無常を語っています
   

荒城の月を思う歴史と真意

現在の岡城は高い石垣が残るのみとなり、荒城の月を思う城姿です。しかし荒城の月の本当に言いたかったのは「無常」なのです。岡城の歴史は荒城の月の真意「無常」を語っています。

岡城の歴史

1185年、緒方惟義が源義経を迎えるために築城したのが最初だと言われます。
1334年、後醍醐天皇の支持を受けた志賀貞朝が拡張し、岡城と名付けたとされています。

1586年、島津氏が進撃しましたが、岡城のみは志賀親次の指揮によって島津軍を撃退しています。
親次はその功績を認められ、豊臣秀吉から褒状を受けています。

1593年、文禄の役で大友吉統が所領を没収され、親次も岡城を去りました。
1594年、中川秀成が入城し、3年がかりで大規模な改修をしました。
本丸・二の丸・三の丸御殿・櫓が造られ、重臣屋敷群も設けられました。
城下町は挟田に加えて竹田町が整備されました。

1771年、大火により、本丸、西ノ丸、御廟など城の大半を失いました。

明治の廃城令にり廃城となりました。
明治4年、城内の建造物は全て破却されました。
現在残っているのは高い石垣のみです。

昭和11年、「岡城址」として国の史跡に指定されています。
平成2年、「岡城公園」となりました。
平成18年、日本100名城に選定されています。

荒城の月の真意

岡城は現在高い石垣を残すのみとなり、荒城の月の歌詞のような姿になっています。
しかし、荒城の月はこのような絵姿のみを言っているのでなく、もっと深い真意を持っています。
それは、「無常」を人々に知ってもらうと言うことなのです。

荒城の月の歌詞は土井晩翠の作詞によるものです。
土井晩翠は仏教を信仰しており、仏教の根本的な考え方である「無常」ということをよく理解しておりました。
この「無常観」を荒城の月の歌詞に織り込んでいるのです。

無常というのは、常が無いと書いて、変わらないものは無いと言う意味を表しています。「常」というのはいつまでも変らないと言う意味です。
仏教の考え方、変わらないものは無い、つまり全てのものは変わっていくと言うことを土井晩翠は人々に伝えたかったのです。
荒城の月の真意はここに在ります。

荒城の月の歌詞、四番に、「栄枯は移る」としてあります。
「栄」も、「枯」も移り変わっていくと言っているわけです。
これは仏教にいう「無常」と同じ意味です。
宗教用語「無常」をやめて、「栄枯は移る」としたわけですが、その真意は、全てのものは移り変わるものであることを知ってほしいと言う思いです。
荒城の月の歌詞の中には、絵姿のほかに、このような思いが込められているのです。

荒城の月を思うとき、岡城の歴史は、まさに荒城の月の真意「無常」をよく物語っているのです。

参照 岡城(Wikipedia)

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