荒城の月TOP荒城の月を思う城

荒城の月を思う城 中城城

本州の石垣とは一味違う沖縄の城で、非常に立派な石垣があります。
   

荒城の月を思う歴史と真意

中城(なかぐすく)城は沖縄にある城跡。非常に高く長い立派な石垣があります。本州の石垣とは一味違いますが、その歴史は荒城の月を思う城です。

中城城の歴史

14世紀後半頃、先中城按司が数世代に渡って主要部分を築き上げたのが始まりと考えられています。
1440年、護佐丸盛春によっ増築され現在の形になったものと思われます。

増築された城壁は「相方積み」という高度な積み方が用いられています。

1458年、王府軍に攻められ護佐丸は自害して滅びました。
1609年、「番所」となりました。
1879年、中城村役場となりました。

1609年以後、薩摩の植民地時代となり、中国からの使節団が来琉したとき、薩摩の役人はここに隠れていたという言い伝えもあります。

1853年、アメリカのペリー提督がここを見て、城壁やアーチの門などの建築技術の高さに驚嘆し、詳細な報告文を書いています。

昭和20年、太平洋戦争では多くの文化財が消滅しましたが、中城城は被害が少なく、石積みが良好に残ったと言われています。
昭和30年、琉球政府文化財保護委員会により重要文化財に指定されました。
昭和47年、国の史跡に指定されました。
平成12年、世界遺産にも登録されました。
平成18年、日本100名城に選定されました。

荒城の月の真意

荒城の月の歌詞は、土井晩翠が作りました。
土井晩翠は仏教を信仰しており、深く理解していました。
仏教の言葉に、「無常」という言葉があります。
常が無いと書かれていますが、「常」というのはいつまでもその状態を保ち、変化しないと言う意味です。
「無常」は、その常が無いのですから、変化しないものは無い、という意味になります。
言い換えれば、すべて変化すると言うことです。

荒城の月の歌詞は、素晴らしい絵姿を私たちに見せてくれます。
石垣にはツタが生い茂り、松は風の音を立てているなどとまるで絵を見ているようです。
しかし荒城の月はこのような絵姿だけを言いたかったのでないのです。もっと深いところを言いたかったのです。
それが、「無常」なのです。
荒城の月は、「無常」を言いたかったのです。

荒城の月、歌詞四番に、「栄枯は移る」としてあります。
「栄」も「枯」も時と共に移っていくと言っているのです。
これはまさしは「無常」と同じです。
荒城の月は、この言葉をもって、「無常」を人々に知ってもらいたいと言う真意をもっているのです。

荒城の月を思うとき、中城(なかぐすく)城の歴史は、「無常」を語ってくれるのです。
中城城の歴史は荒城の月の真意を表してくれています。

参照 中城城(Wikipedia)

荒城の月TOP 前頁