仏教の心

荒城の月の歌詞に込められている仏教の心
   

仏教

「仏教の心」は深遠ですが、荒城の月の歌詞に込められている仏教の心について述べてみます。

ゴータマブッダ、仏、釈尊、釈迦など色々の名前で呼ばれていますが、実在する人物で、この人が悟った内容を世に伝えた教えのことです。

荒城の月の歌詞の意味を理解し解釈していると、その中には深い「仏教の心」が刻み込まれているように思われてなりません。
直接的には仏教の仏の字も出てきませんがそのように思えるのです。

仏教の心というのは何かと定義づけることは出来ませんが、私の理解している仏教においては、「空の論理」といわれる色即是空の考え方があります。
これは仏の教えを表す中心的な考え方です。
非常に多くのことを語っており、仏法僧とか、ものごとの縁起を観察する智慧、実践において重要な六波羅蜜や八正道など数えきれないほどのことを教えています。

しかし本来の目的である、仏教の心は、人々の苦しみを取り除こうとするところにあります。

荒城の月の歌詞三番と四番で、「月の光はこの世の中は移り変わるものだ」と人々に教えようとしているかのごとくだと言っています。

栄枯盛衰、諸行無常といわれますがこのことを自分のものにし、執着しなくなることができれば苦しみから解き放たれるとブッダは言っています。
これが仏教の心だと私は思います。

私の実家は昔は庄屋であり、その後も小作からの年貢で優雅な暮らしをしていましたが、戦後、田畑を全部取り上げられ裸同然になりました。
しかし私の母は仏教に徹し、別院の輪番から書をもらうほどでした。その書は額に入れられ今でも飾られています。
その母に仏教の何たるかを教えてもらったこともあります。
世の中は移り変わるものだと悟った所に幸せ感が生まれたものと思います。
私は明るい雰囲気の中で育ちました。

仏教の心というのはそういうところにあるのではないでしょうか。

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