「荒城の月」に見る仏教の心

荒城の月には、仏教の心「無常」が取り入れられています
   

仏教とのつながり

この荒城の月には、仏教の心「無常」が取り入れられていると思えます。荒城の月が人の心に感動を与えるのはこの深い仏教の心を見ることが出来るからではないでしょうか。

この荒城の月の歌詞の意味するところを深く解釈すればするほど土井晩翠の言いたかったことが分かるような気がいたします。

歌詞一番から四番まで全部まとめて言えば「世は変わる」と言っていると解釈できます。「栄枯盛衰」であり、「諸行無常」です。

このことは何と2500年前のブッダの教えの中にあります。
仏教の真髄です。
仏教は読んで字のごとく「仏の教え」であり、その中で述べられているのがこの「無常」です。
世の中は常に移り変わっていくものであり、現在の姿は必ず変わりますよという意味で、「常」のままであることは「無い」と教えているわけです。
「空」(くう)とも言われますが、これはこの世のものは全て永遠に続く存在ではないということを示しています。

このことは平家物語にも出てきます。
ゴーンとなる鐘の音もやがて無くなるように、盛んな勢力を誇っている人もやがては必ず衰えるものだと言っています。

土井晩翠は「荒城の月」にこの仏教の心を詠み込んでいるものと解釈できます。
僧侶でなかったことは確かですが、相当深くこの仏教を身体に刻み込んでおられたからこそ、このように感動的な詩を作ることが出来たのではないかと思います。

土井家の菩提寺は仙台の大林寺で、檀徒総代も務められていました。
土井晩翠は若い頃、仏教を敬遠されたという話も伝えられています。
しかし後には仏教の信仰を深められ、ご先祖の供養も欠かさず行われましたし、土井晩翠の作品の中には仏教思想を元とした仏教の心が盛り込まれて行くようになりました。

土井晩翠作詞の荒城の月も、歌詞の意味からして、この仏教の世界観「無常」、仏教の心を取り入れられているに違いないと私は解釈しています。

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