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諸行無常世の中は常に変化していることを示しています |
諸行無常諸行無常とは仏教用語であり、この世の中は常に変化していることを示しています。「無常」とは一瞬たりとも同じ状態は無いと言う意味です。「無常」というのは仏教の根本的思想であり、「常」であるものは「無い」と言っています。 「常」というのは今の状態が常にいつまでも変化せずに続くことを意味します。 「常」は「無い」というわけです。つまり、いつまでも変化しないでいられるものは無いと言っているわけです。 明日も明後日も変化しないでいられるものは無いと言っているどころではなく、あらゆるものは刹那(きわめて短い時間)の間にも変化をくり返しているとさえ言っています。 いや実に驚きではありませんか。 私たち人間の身体も、草や木も、あるいは石にしても原子の集まりでできています。この原子は量子力学で言うその時その時の偶然の状態から成り立っていると現代の科学者がやっと気づいたのです。 しかし2500年も前にブッダがこのことに気が付いていたわけです。 一瞬たりとも同じでは居られないのだと。 現代の科学者は「仏教は我々の目指している所を先取りしている」とさえ言っています。 この仏教の言葉を借りて、平家物語は 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」 と言っています。祇園精舎の鐘の音は「世の中に不変のものはないということを示している」という意味です。 また、『いろは歌』にある「いろはにほへとちりぬるを」も「諸行無常」を意味しています。 「色は匂えど散りぬる」であり、今は色鮮やかであってもやがては枯れていかねばならないのが世の常である、と言っています。 少し難しくなりますが、 仏法の三法印は、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」からなり立っています。 涅槃経には「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」とあります。 これは「何事も変化しているのだから、生だとか滅だとかいうことの執着を離れなければならない」という意味のことを示しているのではないかと思います。 仏教の目指しているのは「人々の苦しみを和らげる」ことなのです。 そのために、「諸行無常」を理解し、執着することの無いようにしましょうと呼びかけています。 私の煩悩は、「諸行無常」の言わんとすることを理解はできても、なかなか執着から離れられず、悟りとは程遠いところにありますけれども、このブッダの教えは本当であるなと心に入れようと努力しています。
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