仏教の世界観

世の中は常に変わる無常であると語っています
   

仏教 空

仏教では、この世にある全てのものは実在するものではなく、空としての存在であって常に変化していると説いています。

「空」という概念は非常に理解するのが難しく、簡単に説明できるようなことではありませんが、その考え方についてできる範囲で説明してみます。

私たちは目の前にあるものは全て実在するから見えているものだと思いがちですが、仏教ではそうは言いません。
実在するというのは永久不変に同じであって変化するものではないとしているからです。

そうすると私たちの目の前にあるものは何なのでしょう。
仏教というどもその存在は否定しません。そこにあるから見ることが出来ると認めています。
ただ、それは「実在」するのではなく、今一瞬一瞬そこに「存在」しているのであって時間が経てば変化していくものだと言っているのです。
変化していくものは「空」(くう)なのだと。

般若心経ではこのことを「色即是空」と書かれています。
「色」はこの世にある全てのものを指します。
色は是れ即ち空なり、と書かれています。

逆も書かれています。
「空即是色」です。
空は是れ即ち色なり、です。

空であるからこそあらゆるものが存在できるのだと。
空には変化のほかにもう一つ別の意味も含まれています。
色々なものが集まって別のものを作り出している。縁によってすべてのことが起こりうる。「縁起」の意味もあります。
しかしそれは変化するものが縁によって集まってできているのだから、この世にあるものは全て変化するものなのだと言っているわけです。

仏教 世界観

世界は廻る

仏教の目指している所は人々の苦しみを和らげることにあります。

仏教の世界観はネパールの世界観である輪廻と解脱の考えに基づいています。
人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになります。
その苦しみから抜け出すことが解脱であり、修行により解脱を目指すということが仏教の位置づけです。

仏像は多く作られていますが、人々に分かりやすく説くための手段として作られたものであり、開祖であるブッダには仏像を拝むという考え方はありませんでした。
いわゆる「偶像崇拝」の思想はありませんでした。

須弥山

仏教はこの宇宙はどんな構造をしていたのか須弥山を中心として説明しています。
一番下に風輪、その上に水輪、その上に金輪があります。
金輪の上には海があってそこには四つの島があり、中心には須弥山があると説明しています。

金輪の一番下の面が大地の底に接する際となっており、これが金輪際(こんりんざい)といわれるところです。
このことが俗に転じて、物事の最後を表して金輪際と言うようになったのです。
須弥山の周りをまわる月や太陽、須弥山に住む神々のことも詳しく述べられています。

仏教の真の世界観とは

仏教がこの宇宙としての世界をどのように見ていたのかという世界観はあまり問題ではないと私は解釈しています。
弟子がブッダにそのようなことについて執拗に質問すると、私の教えたいことはそのようなことではない、人々を救うための教えなのだと言ってお答えにならなかったと言われています。

世界観と言いますと上記の宇宙の構造などを連想しますが、仏教の真の世界観というのは、輪廻と解脱というところにあったと私は解釈しています。

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