東京音楽学校

「東京音楽学校」は日本で最初の音楽家養成機関
   

東京音楽学校

東京音楽学校

「東京音楽学校」は日本で最初の音楽家養成機関であり、後に「東京美術学校」と併合されて「東京芸術大学」となった、日本で最も歴史ある芸術分野の最高学府です。

東京音楽学校は、1887年10月、文部省大臣官房直属の機関に居た伊沢修二を中心とした当時の代表的学者7名によって創設されました。
伊沢が事実上の初代校長に就任し、その後奏楽堂を含む校舎が新築され、1890年5月に開校されています。

日本最初の音楽学校として、修業年限1年の予科の上に、2年制の師範科と3年制の本科(専修科)が設けられ、どちらかの課程に進学する仕組みとなっていました。

一時は国家予算削減のために降格されたこともありましたが、1900年には学科を再編成して5科とし、以後新制移行までこの体制が基本的に続きました。
20世紀に入った頃から瀧廉太郎・山田耕筰らの作曲家を輩出するようになり、以後音楽家を養成する中心的教育機関となってきました。
第二次世界大戦後の1949年、学制改革により東京芸術大学が作られ、東京美術学校とともに東京音楽学校はこれに包括されています。

東京芸術大学

「東京芸術大学」は「東京美術学校」と「東京音楽学校」とが併合されて出来た、日本で最も歴史ある芸術分野の最高学府です。

1949年(昭和24年)5月、国立学校設置法の公布に伴い、「東京美術学校」と「東京音楽学校」が統合され、新制「東京芸術大学」として設立されたわけです。

日本国内では一般的に「芸大」の呼称で認知され、現在に至るまで通用しています。
この芸大の音楽部は「東京音楽学校」だったわけです。

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