音楽の演奏と鑑賞

演奏とは音楽としての音を出す行為、鑑賞とはその音を聞くこと
   

演奏と鑑賞

音楽の演奏とは音楽としての音を出す行為であり、音楽の鑑賞とはその出された音を聞くことです。演奏と鑑賞は同時に行われることもありますし、録音によって別の時点で鑑賞されることもあります。

私は知人の指揮者から時々定期演奏会のCDをもらいます。
でも、大抵の時は、その方から何月何日に定期演奏会だと連絡してくださいますので、ほとんど生演奏を聴きに行きます。
少し距離がありますので、車で行ってくるとほぼ1日仕事になります。

生演奏と、CDでは全然違います。感動が違うのです。
私は悲しくてもあまり涙は出ない方ですが、音楽に感動すると本当に涙が出てくるのです。
恥ずかしいので拭き取る動作もせず、流れるのに任せることにしていますが、何回かに1回の割合ですが、本当に感動することがあります。

演奏する方々は当然一生懸命です。
毎日毎日積み重ねてきた練習の成果をその瞬間に出さねばならないのですから、本当に一生懸命です。
演奏を見ていてわかります。
指揮される方も、一生懸命です。

音楽鑑賞と言うのは、これは私の思いですが、演奏者と一体になれたときに本当の理解ができるのではないかと思います。
演奏する人と、鑑賞する人、つまり観客と言ってもいいでしょうけれども、その両者がその時、同時に一体となってその演奏に入り込むことが出来た時に感動が生まれるのではないでしょうか。
音楽の演奏と鑑賞は両者が一体にならなければ、その良さは心に届かないのではないかと思います。

指揮者には指揮している間、お客さんに背中を向けているわけですから、お客さんの顔は見えないはずです。
でも、これも私の推定ですか、指揮者には指揮している時もお客さんの様子が見えているのではないかと思います。

私の本職は技術屋ですので、会社で、黒板、いやホワイトボードに向かって詳細な説明図を書きながら説明している時、席に座って聞いていてくれる人の様子は分かります。
後を向いていても、皆は興味なさそうにしているのか、真剣に話を聞いていてくれるのか雰囲気が分かるのです。

音楽の演奏者はどうなのでしょうか。
鑑賞してくれるお客さんの顔は見えるのでしょうか。
前を見ているわけですから、物理的には目に入るはずですが、どうなのでしょうか。
ベテランになり、余裕をもって演奏できる演奏者なら見えるかもしれませんが、まだそれほどでない場合はひょっとしたら、見えていないかもしれません。
でも、顔は見えなくても、そのような若い演奏者でも、鑑賞してくれている人たちの雰囲気は感じ取れているのではないでしょうか。

今日の演奏会は大成功だったと喜べるのは、自分がミスなく演奏できたということではなく、鑑賞に来てくれた人と一体になれたと言う感じがしたとき、ああ、今日はやって良かったと思えるのではないでしょうか。

CDで聴くとき、再生装置の良しあしもあるでしょうが、聞かされていると言う状態であって、ああ良い演奏だなとか、なかなかいい曲だとか、とても難しそうなのをよくこなしているななどと、どうしても第3者的な受け取りになってしまうように思います。

音楽の演奏者と鑑賞者は一体になれたとき、その演奏に感動が生まれるのではないかと私は思います。

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