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音楽家 橋本國彦作曲家であり指揮者でもある音楽家です |
橋本 國彦橋本 國彦(はしもと くにひこ)は、作曲家であり指揮者でもある音楽家です。『学徒進軍歌』などの軍国歌謡や、皇紀2600年奉祝曲の「交響曲第1番ニ調」も作曲しています。1923年東京音楽学校に入学し、ヴァイオリンと指揮法を学びました。 作曲は信時潔に指導を受けましたがほとんど独学であったといわれます。その後同校の研究課に進み、本格的に作曲を学びました。 有望な若手作曲家となった橋本は、文部省の命により1934年から3年間、ウィーンに留学しました。 エゴン・ヴェレスに師事し、アルバン・ベルクの歌劇『ヴォツェック』上演に接したり、ワルターの演奏を聞いたりして更に勉強しました。 帰国途中でもロサンゼルスで先生につくなどして積極的に新しい音楽を学びました。 帰国後は日本洋楽界きっての作曲家・編曲家・教師としても優れていると認められ、1933年母校(東京音楽学校)の教授に就任しています。 日本ビクターの専属として、自分で作った曲を指揮して自作自演録音したり、ヴァイオリン奏者としてのソロの伴奏録音をたくさん残しています。 戦火に倒れた人々を追悼するために独唱、管弦楽のための『三つの和讃』を発表し、日本国憲法の公布を祝う『交響曲第2番』なども発表しました。 代表作品には次のようなものがあります。 交響曲第1番ニ調 交響曲第2番ヘ調 バレエ音楽『香の踊』 スケルツォ バレエ音楽『ヒドランゲヤ・オタクサ』 『おばあさん』 『行進曲ヘ調』 『タンスマニズム』 『垣の壊れ』 『なやましき晩夏の日に』 『巴里の雪』 『薊の花』 『お菓子と娘』 『城ヶ島の雨』 しかし、1949年、胃癌のため44歳で鎌倉で亡くなっています。
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