荒城の月 城中に住む人 婦人もいた

家族や女中も住んでいたから婦人たちも宴に加わり華やいだ宴であった
   

荒城の月 城中に住む人と花の宴

荒城の月 「花の宴」、城中に住む人は城主や兵士ばかりでなく家族や女中も住んでいたから婦人たちも宴に加わり華やいだ宴であったと思います。

城中に住む人

戦国時代の城中には男の兵士ばかりが住んでいたのでしょうか。

城というのは時代とともにその役目が変化していきますが、戦国時代の最初のころの城は武器庫のような存在でした。
戦いのためにだけある要塞です。

しかし時代が下がり、大名の城ともなると随分様子が違ってきました。
荒城の月に詠われている城は随分大きな城のようですし、青葉城を念頭に置いて作詞したと言われていますので、おそらく大名の城を描いていたものと解釈することが出来ます。

大名の城中に住んでいたのは
 大名である城主
 大名の家族
 女中
 小姓
 付き人
 守り役
などです。

また、位の高い将は城中に住まいを許され、その住まいの中には同じような人たちが居ました。

側近たちは城の外の近い場所に武家屋敷を構え、位が下がるほど遠くに住まいしていました。

花の宴

城主の催す大宴会です。
位の低い家来の家族まで呼ばれたかもしれません。 おそらく夕方から始まったのではないでしょうか。
大きな松もあり、枝越しに月の光も差し込んでいたでしょう。

その宴には多くのご婦人たちも加わっていたと考えられます。
当然城主の奥方や子女たち、位の高い人たちの家族、それに普段は下働きだけの人々も招かれて盃をもらっていたかもしれません。

「花の宴」は単なる武器庫の周りで男たちだけが飲んでいる姿ではなく、大きな天守閣を囲む広場での大宴会を意味しているものと解釈できます。
城中に住む人々の宴会を意味し、華々しさを意味していますから、単なる小さな山城と解釈することは出来ません。
土井晩翠は「高楼」いわゆる天守閣があり、「花の宴」を催すことのできる大きな城を意図していたのだと思います。

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