「昔の光」の意味

「昔の光」は何を意味するのでしょうか。大切なところです。
   

昔の光とは

荒城の月の歌詞の中には「昔の光今いずこ」が二回出てきます。
この意味をどう解釈するかは議論の分かれるところであります。特に二番の歌詞における意味の解釈は大きく分けて二つの意見に分かれています。
一つは、戦いに敗れた兵士の折れた刀が地面に突き刺さっているところを照らしていた月の光であるという解釈です。
もう一つは、出陣する兵士がときの声を上げながらかざす刀を照らしている様子であるという解釈です。
どちらももっとものように思えますが、私は後者の方が近いと思います。近いというのはその解釈とは若干は異なるという意味をも含んでいます。
というのは今現在しか存在しません。
今光っていた光線は一瞬の後に無くなってしまいます。光り続けるには光源が光線を出し続け、その光線を反射するものがあり続ける必要があります。
光源がなくなっても、反射体が無くなっても光らなくなります。光り続けているにしても、先ほど光っていた光線と今光っている光線とでは時点が異なります。
昔光っていた光線が今でもあり続ける訳はありません。
昔の光は昔の光なのです。一瞬は一瞬に過ぎ去ります。
昔の光はもうとうの昔に宇宙のかなたに行ってしまっていることは当然です。
このことを土井晩翠が認識していないはずはありません。「昔の光線がどこに行ってしまったか」などというはずがないのです。
昔「光輝いていたもの」がどこに行ってしまったかという意味で使っているのです。
私はそう解釈します。

さて、しかし、土井晩翠は単純に光り輝いていた「物」を指して「昔の光」と言っているとは思えません。
荒城の月の意味を解釈するうえで、特に大切なのがこの点です。
私は、この一番の歌詞にある「光」というのは、栄華を意味するのだと解釈しています。
平和を満喫している人々の輝き、猛きものの集う輝き、そういう意味での「光」だと解釈します。
この城に住んでいた城主や兵士や婦人たち、その平和な姿、そのお城の栄華の様を「昔の光」と言っているのだと思うのです。

物理学的な一瞬の「光」がどこに飛び去ったのかなどという解釈は全く当を得ていないことは明らかです。
雰囲気であるとか、様子とかを表しているわけですが、「光」というのは暗い意味とは取れません。
明るいさまを表しています。
そのため、「昔の光」というのは、「昔の栄華」や「昔の盛者」を意味しているものと私は解釈しています。
繰り返しになりますが、二番の歌詞の「昔の光」は決して敗戦の様子を示すのではなく、ときの声を上げている強者どもの様子を意味していると私は解釈するのです。
また、土井晩翠は、まず最初に昔の栄華や昔の盛者を表しておきたかったのではないかと思うからです。

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