荒城の月の歌詞と月の光

一番二番の光は本当に月の光なのでしょうか
   

月の光

荒城の月の歌詞では、三番四番には月の光が出てきますが、一番二番の光は本当に月の光なのでしょうか。朝日の可能性は否定されるのでしょうか。

私は荒城の月の二番の歌詞の解釈で、なんの躊躇もなく「月の光に輝く剣」と言ってしまいましたが、よくよく考えてみますと「朝日」であってもおかしくはないようです。

今から戦いに出陣する兵士たちの高々とかかげる剣に朝日が照り沿っていてもおかしくはないでしょう。
霜も広場の周りにある事でしょうし、雁が渡っていることも矛盾しません。

むしろ雁が夜中に渡るものか考え併せなくてはなりません。
そこで雁はいつ頃どこからどこへ渡っていくのか、夜中も飛ぶのかについて調べを進めてみました。
雁(かり、がん)はシベリアから日本に来てまたシベリアに渡っていきます。
この鳥は夜も昼も飛ぶことが出来ます。
昼は太陽が主な目印ですが、夜は地磁気なども感じ取り、方角を知っているとのことです。
ただこれは親から教わり、学習によって覚えるものであり、幼鳥の時群れからはぐれてしまうとかわいそうに渡ることが出来なくなってしまうそうです。

いずれにしても、雁は夜も昼も飛ぶことが出来、月か朝日か決める証拠にはなりません。

一番の大宴会も夜とは限りません。限定する証拠がないからです。

しかし荒城の月の歌詞の作詞者、土井晩翠はどのような状況を意図してその意味を伝えようとしたのでしょうか。
読む人それぞれの解釈に任せ、好きなように解釈してもらって構わないという思いだったのでしょうか。

私は、仮にそうであったとしても全体の雰囲気から「月の光」を思い起こします。
読む人の解釈に任せるというのであれば、「月の光」であると解釈しても許されるのではないでしょうか。

(私の不勉強で、月の光である証拠があるのでしたら、解釈の結果は同じでも理由が異なりますのでお詫びしておかねばなりません。ましてや朝日でしたらなおのことですが)

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