荒城の月 「昔の光」

昔、ぴかりと光っていた「光」ではなく、輝いていた「様子」を意味します
   

「昔の光」

荒城の月の歌詞では一番と二番に「昔の光」が出てきますがその意味はぴかりと光る「光」ではなく、輝いていた「様子」を意味するものと解釈されます。

荒城の月の歌詞、一番と二番の「昔の光」とは何を意味するのでしょうか。

単純にとらえれば
一番では、松の枝の影が映っている昔の盃の光
二番では、照らされている昔の剣の光
という意味に解釈することも出来ますが、もう少し深い意味を持っていると解釈すべきです。

一番の昔の光は次のような意味を持っていると解釈します。
天守閣には殿がおり、松に囲まれた広場では兵士や婦人たちが楽しそうに大宴会を開いていた様子を示す。

二番の昔の光は次のような意味を持っていると解釈します。
冬に近くなった秋、周りには霜が降りている広場では多くの兵士が剣を高々とかざしてときの声を上げている。

一番二番の歌詞は、「今いずこ」を含めて解釈すると、 昔はこのように平和で優雅な栄華があり、いざ戦争となれば城主の軍力はすさまじく、大きな勢力を持っていたのに、今はその栄華や勢力は消え失せている、ということを意味するものと解釈すべきです。
この「昔の輝いていた栄華」や「昔の輝いていた勢力」を「昔の光」で表そうとしているのです。

荒城の月の歌詞を作ったのは土井晩翠です。
この土井晩翠は詩人であり多くの歌詞を作っていますが、特にこの荒城の月には思いを込められているように思います。

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