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赤とんぼ(童謡)三木露風作詞、山田耕筰作曲の童謡。郷愁にあふれた日本の歌百選の一つ |
赤とんぼ「赤とんぼ」は、三木露風作詞、山田耕筰作曲による童謡。郷愁にあふれた歌で日本の歌百選の一つに選ばれています。「赤とんぼ」の歌詞は、三木露風が大正10年に、故郷で過ごした子供の頃の郷愁から作ったといわれます。 この詩に昭和2年、山田耕筰が曲をつけました。 歌詞 夕焼、小焼の、あかとんぼ、負われて見たのは、いつの日か。 山の畑の、桑の実を、小籠(こかご)に、つんだは、まぼろしか。 十五で、姐(ねえ)やは、嫁にゆき、お里の、たよりも、たえはてた。 夕やけ、小やけの、赤とんぼ、とまっているよ、竿の先。 「姐(ねえ)や」と「たより」 「姐(ねえ)や」は15で嫁に行き、里のたよりも絶え果てた、なっています。 この「姐や」と言うのは自分の姉ではありません。 三木露風が子守奉公していた家の女中のことを言っていると思われます。 お嫁に行ってしまったため、なぜ「お里の、たよりも、たえはてた」のでしょうか。 「里からの便り」というのには、三つの解釈があります。 一つ目は、 女中の故郷からこの家に送られてくる、女中宛の便り 二つ目は 故郷に帰った女中から、三木宛に届く便り 三つ目は 女中を介して三木の実母から届く便り どの説もなるほどと思える解釈です。 どれも、お嫁に行ってしまったために届かなくなったことが分かります。 私はどの説が良いか分かりません。 二つ目だとしますと、その女中は、里に帰っても三木に少し思いを寄せていたのかもしれません。 三つ目だとしますと、なぜ女中を介さなければ三木の母から便りが届かなかったのか少し疑問も残ります。 一つ目が一番良い解釈かな、とも思いますが、正直私には判断材料もなく、正解はどれかわかりません。 山田耕筰の付けた曲 この詩に山田耕筰が曲を付けたわけですが、この曲の前半は、シューマンの『序奏と協奏的アレグロ ニ短調 op.134』の中で何回も繰り返されているフレーズによく似ているとの意見も出ています。 ゆうゆけこやけーのあかとーんぼー・・・ 誰でも知っている曲です。 しかし本当にこの歌は歌詞と言いメロディーと言い、郷愁を誘う素晴らしい歌だと思います。 私にも田舎の実家があります。 離れているからこそ、その実感が私の心の中にわき出てくるのでしょうか。
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