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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ベルリンに本拠地を置く大きなオーケストラです |
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団ベルリンフィルハーモニー管弦楽団はドイツのベルリンに本拠地を置く世界3大オーケストラの一つです。BPO 少しややこしくて申し訳ありませんがすぐ終わります。 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団はドイツ語で ベルリーナー・フィルハルモニカーと言います。 本拠地は、ドイツのベルリンにある、フィルハーモニーです。ベルリン・フィルハーモニーは立派な建物です。 ここに本拠を置くオーケストラですので、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と言われるわけですが、BPOの略称で呼ばれることもあります。 BPOは、Berliner Philharmonisches Orchesterの頭文字をとったものです。これを日本語に訳したのが、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団です。 発足 1882年5月1日に設立されています。 ベンヤミン・ビルゼのオーケストラから脱退したメンバー54人に新しく6人のメンバーが加わって自主運営楽団として始まりました。 若い人中心のオーケストラで、平均年齢は30歳以下だったと言われています。 最初の定期演奏会は1882年10月に行われています。 1884年にはヨハネス・ブラームスが交響曲第3番を指揮し、ピアノ協奏曲第1番を演奏しました。 またドヴォルジャークも自作の指揮を行っています。 1895年、アルトゥル・ニキシュが常任指揮者となり、1895年12月には、マーラーが自身の交響曲第2番「復活」の初演を指揮しました。 フィルハーモニーの焼失 ドイツは戦争状態となり、1944年1月には旧フィルハーモニーが爆撃で焼失してしまいました。 そのため、以後はベルリン国立歌劇場やアドミラル・パラストに会場を移しながら演奏会を続けました。 BPOはベルリン陥落の2週間前まで演奏会を行っていたそうです。 戦後、フルトヴェングラーは裁判にかけられ指揮活動を禁止されました。 しかしオーケストラはレオ・ボルヒャルトの下で活動を続けました。 後を継いだ指揮者チェリビダッケは若年ながら同楽団を導く一方、フルトヴェングラーの無罪獲得にも死力を尽くしました。 その甲斐もあって釈放され、フルトヴェングラーは1947年の5月末にベルリン・フィルと再会し、「歴史的復帰演奏会」を行っています。 1954年11月に亡くなるまで指揮を続けました。 日本との関わり 1957年、カラヤンに率いられてBPOは初来日しました。以来、数年おきに来日しています。 日本で圧倒的人気を誇ったカラヤンがシェフを務めています。 日本人の団員は、これまでに数名在籍しています。 土屋邦雄、安永徹、樫本大進、町田琴和、伊藤マレーネ、清水直子、神谷敏 等の名前があげられます。
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