エドワード・ガントレット

語学者であり音楽家。1941年日本に帰化
   

エドワード・ガントレット

エドワード・ガントレットはイギリスのウェールズ出身の語学者であり音楽家です。1941年、日本に帰化しています。ロンドンの音楽学校に進学。建築学、工学、美術等も学んでいます。

父親は教会の牧師でした。大叔父に「ダビデの村に」を作曲したヘンリー・ガントレットがいます。

20歳でアメリカ、その後カナダに移り教会に属し、宣教師を務めました。
1890年に来日、1919年から英語教師になり、東京商科大学や山口高等商業学校などで英語・ラテン語などを教え、日本よおけるパイプオルガンの普及など大きな足跡を残しています。

山口県に石灰岩質の秋芳洞がありますが、ここを学術調査し、王立地理学会の会員として海外へ初めて紹介しています。
また、山口県の長門峡の自然美についても広く紹介しています。

妻は山田耕筰の姉の山田恒です。恒子とも言います。
ガントレット恒の名で日本キリスト教婦人矯風会に属し、ここの主力メンバーとして活動しています。

夫婦の間には6人の子供がいます。
長男のジョン・オーエンは進駐軍の教育部に技術顧問で英語に関する著書を多数出しています。
長女のフランセスはカナダ留学しています。
次女のキャスリンは英国の修道院附属学校の教師でした。
次男のトレバーは記者、三女のウィニーは旧華族の土井家に嫁ぎ、英語教師をしています。
四女のベアトリス・エイミーは宣教師と結婚し、夫の故郷の南アフリカのヨハネスバーグや日本で教会活動をしています。

エドワード・ガントレットは1868年12月4日に生まれ、 1956年7月29日亡くなりました。

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