仏教

土井晩翠と仏教
   

仏教

荒城の月作詞者である土井晩翠は仏教に精通してたのではないかと私は思います。仏教についてその関連するところを説明してみます。
なぜ土井晩翠が仏教に精通してたのではないかと推定するのかと言いますと、「諸行無常」を「栄枯は移る」で表しているからです。

仏教とは、「仏の教え」と書きますが、まさにその通りでブッダ(仏陀、釈尊、釈迦などいろいろ表現)が覚ったことを教えてくれているものです。
沢山のことを教えていてくれていますし、奥が深く、とてもここで私が紹介などできるものではありませんが、私の解釈している中でこの「荒城の月」と関係している所のみお話しします。

ブッダは「この世の中にいつまでも続くものはない」と言っています。
なぜならば、この世にあるすべてのものは「空(くう)」であり、実在はしないのだと言っています。
実在するならば「永久に変わらないもの物でなければならない」が、そのようなものは無い。
しかしこの世に今ここにあるのは事実であり、存在していないと言っているのではない。
あるように思えるけれどもこれは実は「空」であって、永久に変わらないものではない、と言っています。

般若心経に述べられていますが、
「色即是空」と言うのは、ここにあるものはすべて「空」であり実在しないものであることを意味しています。
「空即是色」というのは、「空」であるからこそいまここに存在しているのだということを意味しています。

「諸行無常」と言う言葉がありますが、これはそのことを言っているのです。
すべてのものは、常にあるものではない、と言っています。
「常にある」とは永久に不変であるということですから、「無常」すなわち「常にあるものではない」ということです。
全てのもの(諸行)は常にあるものではない(無常)です。
ブッダの教えの中から出てきていることです。

土井晩翠が最初は「荒城月」として作詞し、あとで「荒城の月」に改められているのですが、この詩の中で言っていることはまさに「諸行無常」です。
荒れ果てた城跡に上る月を見て、あのような詩にまとめているわけです。
このようにまとめ上げることが出来たのは、土井晩翠の技術力だけだったとは思えないのです。土井晩翠が仏教に精通していたからこそまとめ上げられたのではないでしょうか。
もう一歩進めて言うならば、「精通」ではなく、「さとり」を得ていたのかもしれないとさえ私は思っているのです。

ブッダの教えの内容は今述べたとおりですが、土井晩翠が仏教に精通していたのではないかと言うのは私の推定であり、証拠の有る事ではありません。
いかにも仏の教えと共通している詩ですので、私はこのように思った次第です。

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