荒城の月 作詞者の意図

歌詞の意味からその本人の意図はどこにあったのか推察します
   

荒城の月 意図

荒城の月は、土井晩翠作詞、瀧廉太郎作曲作曲による歌曲であることはご存じのとおりです。
土井晩翠はこの詩を通して何を言いたかったのでしょうか。
直接お聞きしてみるわけにもいきませんので、私なりの推定でこの詩の意味するところを解釈してみたいと思います。
目次に示しています、「昔の光」と歌詞の意味でも述べますが、全体を通じて作詞者は仏教に通じておられたのでないかと思えるのです。

平家物語に次の句があります。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
という句です。

ここで、
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)とはお金持ちの人が釈迦とその弟子たちに寄進した寺のことです。
沙羅双樹(さらそうじゅ、しゃらそうじゅ)はインド、クシナガラ城外、娑羅の林の中、釈迦の病床の四方に二本ずつ相対して生えていたという娑羅の木のことです。
盛者必衰(しょうじゃひっすい)というのは世の中は無常であり、勢いの盛んな者もついには必ず衰えほろびるということ意味です。
これらは皆、仏、すなわち釈迦が説いた教えの中心的なことがらです。
作詞者土井晩翠はこのことを十分承知していたに違いありません。いや、承知していたというよりも、自分自身がそのことを身をもって感じていられていたのではないでしょうか。
単に承知しているというのは分別の域ですが、身をもって感じているというのは無分別の域であり、いわゆる「さとり」の域に達しているということです。
仏教の言う、世の中は無常であるということを身をもって感じておられたからこそ、この荒城の月の詩を作り、人々に訴えたかったのではないでしょうか。
「たけき者も遂には滅びぬ」ということを、荒れ果てた城跡に見ておられたのだと思います。
少なくとも作詞者の意図はここにあり、これをどう表現するかは作詞者土井晩翠の技術力のなす業です。
春高楼から始まり、剣や雁などいろいろの表現をされていますがそれらは技術であって、本当に言いたかったのは「たけき者も遂には滅びぬ」という姿であったと私は思います。

荒城の月の作詞者の意図は、詩の意味からして、このところにあったものと私は解釈しています。
ここで、仏教の言う、「世の中は無常である」の「無常」というのは非常に深い意味を持っていますが、これを簡単にいいますと次のように解釈することができます。
この世の中に常であるものは無いと言っているのですが、この常というのは永遠に変わらないという意味で、例えば人間にしても草木にしても永遠に生き続けるものは無いし、山や川にしても形は変わってくるものであるということを言っています。
釈迦は2500年前にこの事実を言い当てていたのですが、現在の科学者は太陽といえどもやがては燃え尽きて無くなってしまうということを証明しています。
荒城の月の作詞者土井晩翠はこの「無常」を体に感じていたのだと思います。

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