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栄枯盛衰を示す「たけき者」「たけき者」とはだれのことを指しているのでしょうか |
たけき者荒城の月の「栄枯は移る」を連想させる平家物語の一節「たけき者も遂には滅びぬ」の「たけき者」とは具体的にだれを指しているのでしょうか。荒城の月の歌詞四番では「栄枯は移る」と言っています。 これは平家物語の一節「たけき者も遂には滅びぬ」の意味と大変似ています。 荒城の月の作詞者土井晩翠は仏教にも通じていたけれども、このことをも連想しながら詩を作ったのではないかと私は思っています。 さてそんな中で、「たけき者も遂には滅びぬ」の「たけき者」とは具体的にだれを指しているのか考えてみました。 平家物語の中では先に「おごれる人も久しからず」と言って、そのあと「たけき者も遂には滅びぬ」と続いています。 平家物語では非常に多数の人物が登場しますが、主役は清盛、義仲、義経です。 時代的にもこの並びですし、義経はこの物語の中でまだ滅んでいません。 このことから推定解釈しますと、 「おごれる人」は平清盛、 「たけき者」は源義仲となります。 他の方のご意見も参考にしながら私の解釈としてこのように推定しています。 しかし本来この文章にしても、荒城の月の「栄」にしても具体的にだれのことを指しているのかと言う意味を解釈するよりも、何を言いたいのかと言う作者の意図をくみ取るのが本来の解釈の仕方だろうと思います。 その点からいって、仏教の言う「無常」「空」、平家物語の「おごれる人」「たけき者」、荒城の月の「栄」「ううる剣」、も同一の意味を持っているのではないでしょうか。 繰り返しになって申し訳ありませんが、荒城の月の「ううる剣」の意味を敗戦の後ととらえるのではなく、勢力を示していると私がその意味を解釈しているのはこのような背景的観点があるからです。
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