今いずこの「今」とは

最近とかすぐ近い近未来も含めた「今」を意味しています
   

今いずこの「今」とは

荒城の月でいう今いずこの「今」とは、最近とかすぐ近い近未来も含めた「今」を意味しています。物理学的な今の瞬間とか、過去と未来の境目で時間の大きさが無い「今」ではありません。

「今」というのは「現在」という意味と同じです。
過去や未来と対比した概念であり、過去と未来の境目の「大きさの無い時間」を言っているものではありません。

使われるときと場合によりその程度は異なりますが、近い過去や近い未来を含めていることが多いです。
今の政治は全く良くない、などという場合の今は一年前後の幅を持っているでしょうし、今ちょっと忙しくて手が離せないなどという時の今は分単位の幅を指しているでしょう。

仏教用語としての「今」は、三世のひとつである現世を示しており、「生を受けているこの世界」を指します。
時間の幅はほとんど限定されません。
三世は、過去世、現世、未来世を示します。
現世は、今ここにこうして生かしてもらっている世界そのものです。生まれてくる前でもなく、死んだ後の世でもありません。

今というのは幅を持たない時間的概念です。
ですから、「今」というのを取り出して見せてくれと言ってもそれは不可能なのです。頭の中で認識する「概念」とは物質ではないわけです。

さて、土井晩翠が荒城の月の中で「昔の光 今いずこ」と言っています。
この「今」はどのくらいの幅を考えていたのでしょうか。
何万年という幅ではないでしょうし、何時間という幅でもないでしょう。
人それぞれの漠然とした受け止め方でよいのではないでしょうか。
例えば100年以上昔は栄えていたのだろうけれども、少なくともここ数十年の間にその光は無くなったのだろう、などと解釈すればよいわけです。
これを10年前は栄えたけれども、今年になって衰えたと解釈する人は少ないでしょうし、1万年前と解釈する人も少ないでしょう。個人の思いで想像し、昔と「今」を比べることが出来ればよいわけです。

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