荒城の月 歌詞の意味解説

土井晩翠の気持ちを推察しながら歌詞の意味を解説
   
    

荒城の月 解説

荒城の月の歌詞の意味を解説します。土井晩翠が歌詞を作ったこの荒城の月は深い意味を持っていることも解説します。

歌詞一番の意味解説

荒城の月の作詞者土井晩翠が解説を残しておいてくれたら良かったに、と思うこともしばしばですが、逆に考えれば、解説していないからこそ人々に幅広く愛されているのかもしれません。
もし残っていたら私もこのようにあれこれ考えることは無かったでしょうから、人助けまでされているのかもしれません。
それはさておき、荒城の月の歌詞は四番にその意図を凝縮していますが、土井晩翠の気持ちを推察しながら歌詞の意味を一番から順に解説していきたいと思います。
晩翠の本当の気持ちは、歌詞四番の「栄枯は移る」に表されており、これは深い意味で、「無常」を意味します。
順に解説しますが、このことを知っておいて頂くと有難いです。

一番

春高楼(こうろう)の花の宴(えん) 巡る盃(さかづき)さして
千代のが枝(え)分け出(い) でし 昔の光いずこ

時はです。
高楼とは高い楼閣(ろうかく)、すなわち高い建物のことです。
その建物の近くで桜の花でしょうか花を楽しみながら宴会が催されています。
さあ、飲め飲めとを廻しあいながら大宴会が開かれています。
その盃に大昔からある大木の松の枝の影が映っています。枝の陰でない所は光輝いていることでしょう。
この光は月の光ではなかろうかと私は推定しています。
昼の光ではないという証拠はありませんが、前後関係から私は月の光を意味しているのでないかと推定しています。
大木の松の枝をぬって差し込んできている月の光を浴びながらの飲めや歌えの大宴会。
昔はそのような平和な栄華を誇っていた(昔の光)であろうけれども今はその影はみじんも残っていない。

昔の飲めや歌えの平和な栄華はどこに行ってしまったのだろうか。
一番の歌詞の意味はこのようであると私は解釈しています。

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