荒城の月歌詞 「陣営」

この陣営はどのような状態であるか議論されています
   

陣営

荒城の月歌詞二番にある 「陣営」 の意味は生きている陣営なのか、戦い敗れた陣営なのかで議論されています。私は生きていると解釈します。

荒城の月の詩を解釈する前に次のことを知っていただきたいと思います。
七尾城を攻めたとき、密書を受け取った上杉謙信は勝利を確信し、諸兵たちに酒を振舞って読んだ『九月十三夜』という詩があります。

「霜満軍営秋気清 数行過雁月三更」

読み下しは
「霜は軍営に満ちて  秋気清し
数行の過雁  月三更」

現代語訳は
「霜は軍営に満ちて、秋気が清清しい
雁がいくつかの列を成して飛んでいき、
月は真夜中の空に冴えわたる」
となります。
   
この事実を踏まえて荒城の月の詩の意味を解釈してみましょう。
歌詞一番が栄えている様子を表現しているという解釈はほとんどの方で一致しています。
しかし二番における陣営の様子をどう解釈するかは意見が分かれています。

一つの解釈は、一番で「栄」を、二番で「枯」を、三番で現状の「枯」を、四番で「栄枯盛衰」を表すものと仮定すれば、二番の陣営は戦い敗れていなくてはならない、という解釈です。

この解釈は、最初に二番で「枯」を仮定した上で陣営の様子を意味付けているわけです。
三番は再び現状の「枯」です。「枯」が二回並んでいます。
二番で「枯」を仮定した理由としては、霜が降りていて踏み荒らされていないからと言う理由のようです。

しかし私は仮定ではなく、上杉謙信の詩のように、二番は「勢力」を意味していると解釈します。
一番で栄を言い、二番で勢力を言って、三番でそれが枯れ衰えた現状を示し、四番で栄枯盛衰を解くという解釈です。

二番の霜が踏み荒らされていないということについては、塊となっている兵隊の集団の周りは霜が降りていると解釈するわけです。
このように、荒城の月歌詞二番にある 「陣営」 は生きている陣営であると私は解釈します。

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