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荒城の月 歌詞

荒城の月 一番から四番までの歌詞です
   

歌詞

一番
高楼(こうろう)の花の宴(えん) 巡る盃(さかづき)影さして
千代の松が枝(え)分け出(い)でし 昔の光今いずこ

二番
陣営の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし 昔の光今いずこ

三番
荒城夜半(よわ)の月 変わらぬ光誰(た)がためぞ
垣に残るはただ葛(かずら) 松に歌(うと)うはただ(あらし)

四番
天上影は変わらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿
映(うつ)さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月


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荒城の月の歌詞 その真意

荒城の月の歌詞は土井晩翠の作詞によるものです。
荒城の月を思う歌詞の真意は「無常」にあります。荒城の月の歌詞は綺麗な絵姿を表現していますが、それ以上に土井晩翠はこの荒城の月の歌詞を通して「無常」を人々に伝えたかったのです。
土井晩翠は人並み外れた作詞力を持っており、目の前に綺麗な絵姿を見るような情景を思うことが出来ます。
しかし彼は、この荒城の月の歌詞において、本当に思うところは「無常」であるこということを人々に伝えたかったというのが真意なのです。
無常という言葉は仏教の言葉で、いつまでも変らないものはこの世には無い、という意味の言葉です。仏教の根底の概念です。恐らく彼は歌詞の中でこの「無常」という言葉を使いたかったのでしょうが、この言葉は歌詞として使うには適切ではないと考えたのでしょう、直接使ってはいません。
土井晩翠は、菩提寺の檀家総代を務める家に生まれ育ち、仏教を信仰し、深く理解していました。
この世の有り様を「無常」という概念でとらえていたことと思います。
そのため、このことを人々に伝えたかったのです。
荒城の月、歌詞、四番に、「栄枯は移る」としています。
彼は、「無常」を伝えるためにこの言葉を選んだのです。意味は同じです。言葉として綺麗です。
土井晩翠はこういうところに力を見せているわけです。本当に思うところを綺麗な言葉で表し切っているのです。
その結果、この荒城の月の歌詞の意味は、非常に深い意味を持つことになりました。
歌詞を一見しただけでは、月が昇る荒れ果てた城跡に、石垣にはツタが生い茂り、松は風で音を立てている、と言った情景を思うことになりますが、この真意をくみ取ることが出来ますと、荒れ果てていない城でも、その歴史の変化は「無常」を物語りますから、彼の言いたかった真意を伝えてくれるのです。
例えば、姫路城を見てください。この城は荒れ果ててはいなく、ピカピカのすごく立派なお城です。
でも、この姫路城の歴史を思うとき、「無常」なのです。時と共に色々変わっているのです。
その歴史を知れば、ああ、この城も大変な歴史を持っているのだな、と思うことが出来ますから、土井晩翠の言いたかった真意を物語っているわけです。
土井晩翠は、「栄枯は移る」で、無常を表し、城の歴史をも思ってもらえるように荒城の月の歌詞を作り上げているのです。
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