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荒城の月歌詞 「荒城」この荒城はどこにあった城なのでしょうか |
荒城はどこの城荒城の月に唄われている荒城はどこにある荒城のことを言っているのでしょうか。仙台の青葉城址と言われますが本当でしょうか。荒城の月は瀧廉太郎作曲ですので彼が全部作ったように思われていることもありますが、作詞したのは土井晩翠です。 土井晩翠はどこの城跡を心に描いて作詞したのでしょうか。 荒城の月に関する城跡は5箇所あげられています。 そのうち3つは土井晩翠に関するところ。残り2つが瀧廉太郎に関するところです。 まず土井晩翠がどこの城跡を言おうとしたのか候補が3つあります。 1 土井晩翠が住んでいた仙台市にある青葉城址 2 土井晩翠が荒城の月発表48年記念でスピーチした会津若松市の鶴ヶ城址 3 土井晩翠がよく訪れた二戸市の九戸城址 いずれも各地区の方々は、ここだ、と言われはっきりしたことは分かりませんが、仙台市の青葉城址が最も説得力があり、ほとんどこの説が支持されています。 次に瀧廉太郎はどこの城址を思って作曲したのか2か所候補があります。 1 瀧廉太郎が青年期を過ごした竹田市の岡城址 2 瀧廉太郎が幼少期を過ごした富山市の富山城址 こちらについても各地区の方々は自分の所だと言われますし、更には土井晩翠の「詩」を見て曲を作ったのではないかと言う意見もあります。 これらの意見を踏まえて、私の解釈を申し上げますと、 土井晩翠は、日本各地にあるどの城址にも適合するように、あえて特定の場所を示さないようにしたのではないかと思います。 瀧廉太郎は、作曲当時住んでいた岡城址をちらりと頭に描いたかもしれませんか、土井晩翠の「詩」を見て曲を作ったのではないかと思います。 いずれにしましても本当の所を示す証拠は見つかっておらず、各々の推定解釈にとどまっているというのが実状です。
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