知識

知識とは何かという定義は学問領域ごとに異なっています
   

知識

知識とは何かという一律の定義はまだないのです。哲学としても論じられ宗教や科学の分野など、学問領域ごとに知識の定義は異なっています。

「知識とは、認識によって得られた成果、あるいは、人間や物事について抱いている考えや、技能のこと」と言われているのですが、詳しくみると、哲学、宗教、科学の分野など、学問領域ごとに知識についての定義は異なっており、いまだに結論が出ていないのです。

知識と信仰

アダムとイブは、神から善悪の知識の木の実を食べてはいけない言われていたのに、イブもアダムまでそれを食べてしまい、人間は神から隔てられてしまった、とされています。

ムハンマドの言葉として、「正に知識を持つ者は預言者の相続人だ」言われています。

仏教では、知識とは、仏教の信者が金品などを寄進することとも言われ、本来は仏道修行者の指導者である善知識(ぜんちしき)の略称であったとも言われています。

哲学における知識

知識とは何かという議論の結論は出ていないようです。

「知識」の定義についてソクラテスとテアイテトスが議論して3つ挙げています。
   「知識とは知覚することに他ならない」
   「知識とは真なる思いなしである」
   「知識とは真なる思いなしにロゴスを伴ったものである」
の3つです。

現代英米の分析哲学では
   「知識とは正当化された真なる信念である」
ということになります。

その他

科学の分野や生物の分野でもそれぞれ「知識」とは何かが議論されているようです。

私の考え方は
  「知識とは知っていること」
でよいのではないかと思っています。
哲学でも何でもありません。単なる常識的な解釈です。

土井晩翠が荒城の月の歌詞を作るとき、単に「諸行無常」のことを頭で知識として知っていただけではなく、自分のものとして納得していたのではないかというような意味です。
例えば自分が体験して、身体が知っている、などと言われるのは、単なる知識の域を超えているのではないでしょうか。

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